196. 「盗撮」

木曜の午後、仕事をしながら時計を見遣る。
絵里からもらったタイムテーブルのメールに書いてあった、飛行機便の搭乗時刻を過ぎ、そろそろ離陸の時間だが、とくに出発を告げる絵里からのメールはなかった。
もう心は目的地に飛び、気もそぞろなのだろうか。
いや、考えてみれば今までの泊りがけの出張だって、特にそんなメールを寄越したことはない。
私が神経質なのだろうか、それとも……、その点について考えることやめようと思った。
が、やはり、想像は絵里のことから離れない。

朝はいつもと変らぬ出勤、というかこれまでもあった出張のときと変らぬようすだった。
グレーのパンツスーツ。
白いブラウス。
持って行ったキャリーは同じものだが、このところの週末のプレーのときとは、それだけでやはり雰囲気は変っていた。
しかし、それさえも勘繰れば、何かカモフラージュのように思えてくる。
ほかに服は何を持っていったのか。
小野寺と夜に会うため、それにふさわしいような服を何か持って行っているのではないか?
下着は?
仕事といいながら、あちらで、出張の用事が終ったあとに、セクシーな服装で夜の街に小野寺に寄り添う絵里、いやホテルで小野寺に後ろから抱きかかえられるランジェリー姿の絵里が浮ぶ。
そしてそれを打ち消そうとする。

飛行機が着陸し、現地で活動しはじめたという時間になるころ、どうしても気持ちが抑えられなくなり、やましい意識をいだきながら、絵里の部屋にそっと入り、クローゼットを開けた。
そんなことは今までしたことない。

スーツやワンピースが整然と吊るされている。
しかし私のあやふやな記憶による知識では、そこに無いもの、絵里が持っていったはずのものがなにかはにわには同定できない。
それに紺やベージュ、グレーのスーツやパンツスーツは似たようなものもあってなかなか区別がつかない。

下着の入っているチェストの引き出しを開けてみた。
これもはじめてだ。
ペアになっているブラとショーツが隣どうしになった引き出しが1つ、そしてもう1つ。
3つめの引き出しには、バラのものや、スポーツブラのようなカジュアルなもの、生理用のショーツ、恐らく普段あまり着ないが捨てられないといったものがやはり折り畳まれてはいっている。
こちらもきちんと折り畳まれているといってもやや雑然とした印象を与える。
4つめを開けると、きれに丸められたタイツやストッキングが、未開封のもののストックといっしょに収められていた。

整理のよさに感心する。

私が家にいて、絵里が忙しく残業続きで働く暮しのなか、洗濯も基本的に私の分担になっていた。
タイミングによって絵里が自分でやるときもあるが、平日に絵里が出かけたあと、クリーニングに出すものと洗うものを選別し、できるものは自分で洗濯機に、そして下着はネットに入れて別に回し、干し、そのときによってハンガーのままか、乾いたものを畳んで、絵里の部屋の作業台兼仕事机のようなテーブルの上に簡単に畳んで置くということをやっている。
が、そこから先の整理は絵里の仕事で、そして、クローゼットやチェストは何かプライバシーの領域のようになっている。
絵里の下着は日常的に自分で手に触れていて、性的興奮をともなうものではなくなっているのに、そのプライバシーの領域に整然と並べられたものを眺めると、なにか禁断の場所を見るようで少し妖しい気分にはなる。

どの下着を着ていったのか、持って行ったのか…。
Eri’s Diaryに衣服、下着の情報を記し始めてからもうすぐ1週間になるが、その情報と、チェストを眺めるだけでは、にわかに正確には分からない。
複数あるピーチ色のマッチングのものが足りていない気がする。
もう一つはのペアは薄クリームのやはり複数あるものの一つか。
いずれにしてもとりたててエロチックなものというわけではない。
そもそもその手のものは私の記憶や、今ざっと見ている限りでも所有していない。
2つめのチェストには、派手目のものを置いてあるらしいが、ときどき覚えのある濃紺や濃いピンクに上品な花柄の刺繍をあしらったおしゃれ系のものはそこにそのままある。

Eri’s Diaryでふとした出来心から記録を始めたものだが、こうした全ての実物を前にしていると、もっと全体をきちんと把握したいという欲求が起きてきた。
しかし、一枚、一枚手にとって確認するのは憚られた。
敏感な絵里のこと何か「荒された」ような痕跡を感じる危険があると思った。
外面から分かる限り一つ一つメモしようかと思ったが、的確に記述する言葉に限界を感じたこと、延々とその作業に打ち込む自分の姿が滑稽に思えた。

しかし、せっかくこうやってチェストを開けた機会を便乗しようと、ひらめいて、4つのチェストを一つ一つ開けたところを、急いで携帯で写真にとった。
クローゼットを開けたところも同様に。

やましい気分に変りはなかった。
盗撮という言葉も頭に浮かんだ。
しかしこの行為をもって、他人のクローゼットを開けている状態に、さっさと終止符が打たれたことが、もしろ気を楽にするものだった。

犯罪者が証拠を隠すように、急いで携帯の写真をPCに転送し、絵里の一件を整理しているフォルダーに入れ、携帯から消した。
そうしてしまうと、PCの中の写真をもう一度開いて、それぞれのアイテムを点検するという気力はもうまったくなく、これから役に立つこともあるだろうという気持で行為のケリをつけ、仕事に戻った。

このときの写真は、後から思い起すと、ささいな変化が起きていく、その前の初期状態の記録するものとなった。