13. 木曜日の遅い帰宅

投稿者: ゆきお

新しい週がはじまり、私たちの生活は月、火、水といつものように流れていった。

私は絵里が出て行った後、朝食の後片付けをし、洗濯機に洗濯ものをほうり込む。
洗濯の合間、お昼までに技術系の翻訳をこなし、一人で昼食をとる。
その後は、必要に応じて技術翻訳を続けたり、学術系のものにじっくりとかかる。

行き詰ったとき、ポルノサイトを見て妄想したり、オナニーする誘惑が多いのはこの時間だ。
それは、不思議なリズムに支配されている。

絵里と実際にセックスした後に、それを思い出し、やたらと一人でもオナニーしたくなる日もあれば、逆にリビドーが落ちたように、何もしたくなる日が続くこともある。
今回はリビドーが落ちたほうだった。
やはり充実したセックスは落ち着くのかとも思った。
浮気の疑惑や、寝取られ系の妄想も消えていた。

翻訳が終ったあと、気持は絵里のためにおいしい夕食を作るほうに気持が向いた。
そして幸せなことに、その週は、月、火、水と絵里の帰宅は早く、夕食を早い時間からいっしょにとることができた。

木曜日、もともと早く帰宅すると予定のはずなのに、夕方になって、絵里から、帰りは9時ごろになるから夕食を先にとっていて、というメールがあった。

急な予定の変更はよくあることだ。

私は一人で夕食を済まし、絵里のぶんの夕食は一応確保しながら、もしどこかで食べてきたときのために、おつまみにきりかえてもいいような仕度をして待っていた。

9時になっても絵里は帰宅せず、連絡もなかったので、私は一人で、用意したおつまみで白ワインを飲み始めた。

絵里が9時半ちょっと回ったところで帰ってきた。

そんなときに私は「遅いじゃないか」などと言ったりはしない。
急な予定の変更は誰にでもあるものだ。
気軽にメールや電話できないこともある。
それに仕事の都合で遅れた人間を責める訳にはいかないし、仮にちょっと羽根を延したくて友人と一緒だったとしても責められるものではない。
彼女が一生懸命やっているのは、私のためであるのも、私はよく理解していた。

ただいま、と言って帰ってきたいつもの笑顔の裏に、なんとなしの硬ばりや蔭があるような気がふとした。

「おかえり。ご飯先に食べちゃったよ。ごはんどうした? それとも飲む?」

「ん…、ちょっと飲みたい。」

「ご飯は?」

「そんなにお腹すいてないからだいじょうぶ。」

夕食をすましたのかどうか、私の質問には明確には答えなかったが、深く追求せずに「じゃあ、一杯飲もうか」と言って、ソファのほうに彼女のつまみとワインを用意した。

彼女は私の隣に座った。

いつもは最初は向い合わせに座るが、酔ってくると隣に移るというのがいつものパターンなのだが。

隣に座ると少しアルコールの匂いがした。

「もう飲んできたの?」

「うん、ちょっとね。」

「…」

「ちょっとややこしい話があって。」

「ふ〜ん、仕事?」

「仕事とプライベートの両方かな」

「そう。誰と?」

「それはね。ちょっと待ってね、ややこしいからもうちょっとゆっくり飲んでから話すから。」

「わかった」

他愛もない芸能ネタの話をしながら私たちはグラスを重ねた。

すでに飲んできたというわりには、絵里のペースには落ち着きがなくいつもより早かった。

10時になったときに、突然絵里の携帯が鳴った。
絵里は一瞬びくっとして、そして、立ち上がりテーブルにおいてあった携帯の音を止めた。

「ごめんごめん、アラームなんだ。10時にセットしてあったから。」

私も知っているとおり確かにそれは彼女が携帯のアラームに設定している音だった。

「10時のアラーム?」

「…」

絵里はその私に返事するのを無視して、隣に先程よりさらに密着して座り、そして私によりかかると、言った。

「ねえ、ぎゅっとして。」

震えるような声だった。

私は何もいわずにそのまま彼女を引き寄せて、ぎゅっと長く抱いた。

彼女の胸は震えていた。

日曜日の夜のことを思い出した。
そして、その時のように、彼女の体を引き上げてキスしようとすると、意外なことにそれにあらがい、私と唇を合せることなく、私の体から離れて、また、隣にまっすぐ座りなおした。

そして、彼女が言った。

「ねえ、これから私の話をゆっくりと落ち着いて聴いてくれる?」

先程の声の震え、胸の震えとはうって変わって、その声はいつもより低くしっかりと落ち着いていた。