17. もっと大きな理由

投稿者: ゆきお

ただならぬことを告げられた衝撃と、今しがたの会話に喚起された妄想による激しい性的興奮に混乱した頭でぼうっとしながら、赤ワインを飲むともなしに味見しているところへ、パジャマ姿の絵里が戻ってきた。

すっぴんになった顔がピンクに上気しているのは、シャワーのお湯のせいだけかなどと考えた。
が、さっぱりした顔の瞳からは、さきほどのような妖しい翳りは消え、むしろくったくなく見えた。

絵里はまた、先程と同じ私の正面に座った。
いつもの習慣で、ノーブラ、ノーパンのはずなのだが、普通のズボンとシャツのパジャマからは先ほどの、ブラウスの姿に感じられるフェテイッシュなセクシーさは消えていたが、その代り、その下にある肉体をさきほどより強く想像させた。

この体が、裸に剥かれ、、見知らぬ男の手によって縛られる。

まだ何も決ったわけでもないのに、それを規定路線として妄想を広げている自分に苦笑した。

私のほうを見ながら、ゆっくりとワインの味見をしていた絵里が、口を開いた。

「あのね、こんなことをしてまで、私がこの仕事をとりたいかって、まだ全部話してなかったよね。」

「だから、会社に入ってからずっと夢で、大事なんだろ。」

「そうなんだけど、今しかないっていういろいろな理由があるのよ。」

「この仕事、今動いているんだけど、3月末までに、うちから営業でやっている試験がうまくいって、先方のパイロットプロジェクトに位置付けられれば4月からその導入が動き出すの。9月に稼動なのね。でね、それだけじゃないの、9月の稼動が上手くいけば、来年の4月から、うちのシステムがこの会社で子会社も含めて、全社的に稼動するよことを目指してプロジェクトが拡大するのね。だからまず、営業的にはあと1か月が正念場なの。」

「ふ~ん、でかいんだな。」

「そう、でかいのよ。でもそれだけじゃないわ。」

「私ね、今までなんとかここまでこれたでしょ。でもね去年あたりからだいたい社内的には頭打ちなのよ。」

「ねえ、絵里、ぼくはさ、それ以上は望んでないよ。」

「あのね、今が維持できればね。」

「え? リストラとかいう話?」

「そうじゃなくて、やっぱり男の人には分からないのね。」

「…」

「この先、私さ、産休ってこともありうるでしょ。育児はきみがかなり手伝ってくれるにしても、今までどおりには働けないわよね。」

「まあ、もし、そういうことになればね。」
子供の話は、二人の間では、今までおそるおそるしか触れたことがない。
私が、自分の不安定な身分をはじ、そしてそれほど子供のある家庭というのに価値を見出していないせいで、できれば避けて通りたいと思っていたことなのである。

「あのね、私もう35なの。このあと何年かがリミットなのね。」

「そうかもね…」

「かもじゃなくて、そうなの。今の私のポジションで私が出産休暇をとって、育児のために一線を退いたら、今の会社では、くびになったり、退職を強要されたりはしないけど、子供が幼稚園にいくころになって、一線で働きたいっていってももう、まともなポストはないのよ。年収だって大きくダウンしたまま補助職にまわされてそれで終り。それにそんな補助職なんていつまででも続けられる仕事じゃない。」

「…」

「そして、今と同じ年収の再就職なんてこの不景気でありっこない。」

「絵里ならだいじょうぶだよ。」

「いい加減なこと言わないで。私の能力と業界のことは私自身がよく知っているわ。」

「…」

「転職にせよ、社内での補助職にせよ、今の私の年収が維持できなかったら、今の生活はできないのよ。このマンションも、そして平日からこんな赤ワイン開けるような、ささやかかもしれないけどそれなり贅沢なんて考えられないのよ。正直言うけど、今のきみの稼ぎが倍になってもそのダウンにおいつかないの。」

「…」
絵里にしては、今の私がいちばん触れてほしくないところに触れてくるような物言いだった。
しかし、いつもの私なら理不尽とわかっていても怒りをあからさまにしたかもしれない。
しかし、私は何も言えずだまっていた。

「だけど、このプロジェクトがとれれば違う。このシステムの稼動はずっと続く、この先何年か発展性があるから、来年の4月の稼動のぶんまでを成功させれば、私の営業の実力は今までの何倍も認められるし、またこのシステムの仕事に戻ってくることもできる。」

「なるほど。」

「来年の4月が過ぎたら、たぶん、安心して、産休だってとろうと思えばとれる。私はそれに賭けたいし、これが最後のチャンスなのよ。」

「それ、子供を作るっていうことでの前提だろ。来年子供欲しいのかい。」

「私にも百パーセント確信はない。このことについてはきみともゆっくり話し合わないといけないし。でも、とにかくいざというときのために可能性だけは残しておきたいの。」

「わかった」

これ以上は何も言えなかった。

私は、絵里がきちんと生活設計を描いている事実を強く認識すればするほど、自分が、あまりに無頓着に自分の好きな翻訳だけを優先させて続け、その進捗すらもネットサーフィンと妄想とオナニーにあけくれて犠牲することが多いことを恥じた。