22. もう眠りましょう

投稿者: ゆきお

「だいたい分かってくれた?」

絵里の口調に心なしか事務的な響きが感じられた。

「これだけ? もっとびっくりショーはないよね。」

「ない。…それで、大事なのは、きみがこれを分かってくれてOKかどうかということ。」

ここまで話しておいて今さらなのか。
分かってくれる? どうやって。

「どうしてぼくのOKがいるんだい。」

「だって、きみは私のパートナーだもの。」

「パートナーならOKがいるのかい。」

「こういう大事なことは、そうでしょう。それに何でも正直に話してくれって言ったのは、きみなのよ。」

「向こうが、ぼくのOKも要求しているということ?」

「そうじゃないわ。それは話に出てない。」

「向こうは、ぼくらのこと知っているの?」

「きみのような存在がいることは分かっている。」

「ぼくのような存在って。」

「同棲相手がいるということ。」

「同棲相手か…」

「そんなふうに話したのか。」

「そうじゃないわ。会社の人たちはだいたいそういう認識なの。私、独身ということで、入社して一度も結婚なんて届けてないし。だけど、生活パターンから私が男の人と、そうね、少し親しい人は、私が昔から付き合っている人と住んでいることは分かっている。事実婚っていう言葉で理解している人もいるけど、みんな、そんな言いかたで理解してくれているわけじゃない。ましてパートナーなんて言い方って。」

「君らの会話の中で、ぼくは何て呼ばれているのさ。」

「彼氏。」

たしかに、私たちの内情をあまり知らないけど、知人であるような人は私のことを「旦那さん」とか「御主人」と呼んでいるが、事実婚の状態すら知らない彼女の会社の人間や、逆に彼女のことをよく知る特定の昔の仲間からは私は「彼氏」と呼ばれているのは知っているし、それは普通でもあるとも思っていた。「同棲相手」という位置付けも会社の人間たちからすればそうなのだろう。しかし、なぜか、こういうシチュエーションで二人の間で私のことがそう規定されているとを想像すると胸にわだかまりがあった。
やはりどこかに自分が彼氏以上のものだということをアピールしてほしかったという気持があった。

「でも、きみのことを話すことはほとんどないわ。」

奇妙にささる言葉だった。
自分のことが二人の会話の中で出てくることにも傷つき、自分が無視されていることにも傷つく、そんな矛盾した気持があった。

「あ、そう。」

「そんなことを気にする人じゃないの。」

彼女の中でその男といっしょに積み重ねられた時間を生々しく感じさせる言葉だった。

「じゃあ、とにかく、ぼくのOKうんぬんという話は、君だけのためっていうこと?」

「そう、私のため。というか私たちのためよ。」

「でも、もう決めてあるんだろう。」

「あのね、私がどうして、こんなことしなければいけないと思ったかは、さっき話したよね。これは二人の問題なの。私だけが勝手に決めることじゃない。」

「でも結論は下りてる。」

「違うわ。私は、客観的に材料を提示して、その条件をどうとらえるか、受けるかどうかについて、きみも考えて結論を下してほしいの。」

「ぼくにも少しは決定権の一部はあるということ。」

「もちろんよ。私、きみがノーといえば、この話は受けない。だけど一時の感情じゃなくて、イエスにしてもノーにしても、それが生む結果をよく考えてからにしてほしいの。」

「じゃあ、ノーといえばどうなるんだ。」

「ごめんなさい。きみ。それについては、さっき十分に説明したわよね。私、一晩中堂々めぐりの議論はしたくないの。私がつつみ隠さず出してくれたことについて考えてくれる。」

「でも君の選択がそれしかないかどうかについては、まだ十分に話し合っていない。それにももう少し聞きたいこともあるし…。」

「ねえ、ゆきおくん、私たちの将来の設計について、どう考えているのか、何もきちんとしたことを話したことはないのは、きみのほうなのよ。私だけに考えさせて、質問するだけってずるいわ。」

「…」

「今日はもう遅いし、そんな場じゃないから、今まできみが一度も私に話してくれなかった、生活設計のことについて急にこれから話してもらおうとは思わない。でもね、最低、そういったことも含めて考えたうえで、明日にはこのことについて私が返事できるように、きみの決断を教えてほしいの。」

「決断」という言葉づかいに承諾に向けての圧力を強く感じた。

「何もかもお膳立てしておいて、そういう言い方はないんじゃないか。」

「じゃあ、どういう言い方があったというの。」

絵里は、赤ワインの残りの入っていた自分のグラスを掴むと、つっと立ち上がり、キッチンの方へ向っていった。残りのワインをシンクに捨て、グラスを洗う音が聞こえた。
視線をやるとそのまま流し台のほうを向いてずっと立っている絵里の姿が見えた。

5年ほど前までまだ彼女が煙草を吸っていたときは、言い争いになったとき、そこで換気扇を回してよく一服して、気を静めていた。
禁煙してもその癖は引き継がれ、今でも時々同じ場所にそうやってただじっとしている。

私はソファーに座ったまま、目をつぶり、混乱した気持を静めようとしていた。
これもいつものことだ。

絵里のやってくる気配を感じた。
そして、隣りに座った絵里が、私の頬に手を触れながら言った。

「ごめんね。ちょっと私、いらついてた。」

「ぼくも。」

慣習化されたいつもの二人の行動パターンだった。
そうやっていつも正面衝突を避けてきた。

「もう眠りましょう。1時。明日ゆっくり私がいない間に考えてちょうだい。」

「分かった。」

もう少し話したかったが、自宅で自分の裁量でどうにでも休める私と違って、朝から満員の通勤電車で出社し忙しく働く彼女の体力のことをいつも私はいつも考えていた

「眠れないといやだから、私、誘眠剤を飲むわ。きみも飲んだほうがいいと思う。」

私も絵里も、同じ軽い誘眠剤を処方してもらっていて、どうしても眠れないときたまに服用していた。
ふだんは別別に飲むことが多いのだが。

絵里は立ち上がると私のワイングラスを引き上げ、代わりに錠剤と水を持って来た。

ほんとはアルコールとの服用はよくないとは思いながら、いつもの錠剤を二人して飲んだ。