27. 充実した週末

投稿者: ゆきお

月曜の朝は、いつもの朝よりとりわけせわしない。
おはようの後、続く会話もそこそこに、絵里が仕事へ慌しく出て行くのを送り出した私は、寝不足で満員電車で戦っている絵里のことを思い、ゆっくりコーヒーの続きがやれる自分の境遇に少しばかりの罪の意識を感じながら、あっという間に過ぎ去った週末のことを思い出していた。

充実した週末だった。

金曜日のライブのあと飲み過ぎてしまうという小さな失敗はあったけど。

1年ぶりに会う同級生たち。
残業を終えて、遅れて駆けつけ、仕事で忙しいのを自分からアピールしているのが相変らずのA。
結婚相手に恵まれて年々セレブの奥さん風に磨きがかかっていくH美。
私たち以外に3組の夫婦もいて、2組が子供づれで、そのことで最近はまた別種の賑わいがあった。

その中で私たちは、確かに一際若々しいカップルに見えたと自分でも思う。
仕事で生き生きと活躍し、所帯じみていない妻。
たとえからっきし無名、低収入であっても、一応数冊の単行本に翻訳者として表紙に名前が出ていることで、外見には、いっぱしの翻訳家に写り、そして家庭的な自由業の夫。
世間の規範にとらわれない事実婚。

子育てや夫のぐちの会話の仲間に入りながら、子供たちを楽しそうにあしらっている絵里を見ると、ちらりと別の人生の可能性も頭をよぎらないわけではなかったが、しかし、私たちはそれ以上に、自分たちの境遇を謳歌するよう周りからも仕向けられていた。

「若いわね。」「ぜんぜん変らないのね、あなたたち。」「いっつも仲良くてうらやましい。」こんな言葉を何度聞いただろうか。

そんな言葉に応えて演技するかのように、絵里は私に体を寄せ、二人ともいつもより親密な恋人たちのように密着して、わざと冷かされながら時を過した。
絵里も私も自分たちのイメージに酔っていたのだろうと思う。
その酔いは、「あのこと」を含め私たの生活に投げ掛けられたいろいろな影を忘れさせてくれた。
ソファの隣で寄りかかって座った絵里の体の柔らかさと、仕事帰りのビジネススーツから漂う香水の香りを感じながら、その酔いに私は深く深く浸った。

土曜日の朝、気づいたら二日酔いで目が覚めた。

ライブ終了後にまた一しきり友人たちと盛り上がり、特に親しかった数人と居酒屋で飲み直したところまでは覚えているが、そのあたりから意識がもうろうとしている。

「ん… 途中から記憶が飛んじゃってる。居酒屋から、そのまま帰ったんだよね。」
「そうよ。ずいぶん酔ってたわね。私がちゃんとホームに落っこちないようにひっぱって帰った。一人でずっとぶつぶつ言ってた。」
「… 何か変なこと言わなかった?」
「なんか機嫌よく、昔のこと繰り返してたわ。あと○×はいいやつだとか、□△は相変らずばかだとか。」
「それにしても覚えてないなんて…」
「 きみ、○×ちゃんのライブのときはいつもそうよ。」
「そうだっけ?」
「去年も、そうだった。」
「かもね。」

いや、やはり昨日は最後いつもよりピッチ上げて飲んでしまったのには、それなりの理由があるだろう…と心の中で思った。

絵里がおかゆと梅干しの遅い朝食を作ってくれた。
平日は私が基本的には食事を作るが、週末には絵里が作ることもある。

二日酔いの自己嫌悪が、「あのこと」の影によって増幅された、漠然とした強い不快感に囚われた心に、おかゆの甘さと梅干しの酸味が染み入った。

しばらく、寝ていると、午後の遅い時間にはなんとか復活した。

最後飲み過ぎてしまったとはいえ、金曜のライブは絵里の言うとおり、行ってよかったと思った。
いつもの幸せな自分たちのイメージは、実際、幸せな一時を与えてくれた。

自己嫌悪から脱してきた。

二人で買い物に行き、あれこれとおしゃべりしながら土日のメニューを決め、スーパーの籠いっぱいになった食材と、酒売り場で新しく勧められた2本のワインをかかえながら帰ってくるころには、すっかり食欲も戻っていた。

そして、料理の手順を巡っていつものように小さなけんかをしながら作る土曜の夕食。
ワインをまじえての長い食事。

絵里が土日が完全に休みのときは、どちらか一日は、映画や催し物へ足を運んだり、遠出することが多い。
しかしその週末は、金曜のライブ以外はもともと予定が入っていなかったし、お互いあえて何か特別なことをすることを言い出さなかった。

二人だけでゆっくり過ごす土日、というのが暗黙のまま決まっているようだった。
まるで、正月休みが二日間だけ戻ってきたようだった。

日曜も、同じようなゆったりした一日が繰り返された。

商店街や古本屋への小さな散歩。
家でお互い別のパソコンでネットサーフィンしたりたまったメールを書いたり。
年末の行事の写真を整理したり。
そして、月曜の朝を意識しながら、早くから作り始める食事。

いつも以上に二人だけの生活ということでは充実した週末。
まるで「あのこと」は存在しないかのようだった。

そして、「あのこと」に一言も触れず土曜日の夜と日曜の夜、私たちは情熱的に愛しあった。
絵里はいつもよりよく反応し、そして私もいつもより力が漲っていた。
最近にはない私たちの情熱の背後にはもちろん「あのこと」があるのは二人とも痛いほど感じていながら、まるでそれを振り解くように貪欲に愛しあった。
そして私たちは私たちの世界にのめり込むことができた。
いや、私はできた。
絵里はどうなのだろう、と今にして思う。
が、私はその時二人の間に同じ思いが通っていたことを疑ってはいない。

そして、注意深く言葉を選びながら、寝物語に今まで以上に饒舌に語り合った。
絵里は、仕事上での自分のポジションのこと、今後のキャリアの設計のこと、次のプロジェクトでやってみたいことを、子供を作ったときのオプションもからめながらあれこれと語った。
その計画の前提にはもちろん「あのこと」があるのは二人にとってもう自明のことなのだが、私たちは、それをその独自の時空に封印しながら、それがもたらす光の面だけを見るように努めていたのだとと思う。
絵里の野心に負けまいと、私も、学術書、文芸書の翻訳家としてもっと自分の地保を固めるたいという思いを新たにし、これからやってみたい仕事ののことを話した。
絵里も久々の私の野心のある語りに喜んだ。

体も心もお互い何歳も若返ったようだった。
日常の中で忘れかけていた若い日の充実が戻ってきた。
そして、それを持続させようという意欲も。

ますます「素敵なカップル」を築き上げていくという気持は、演技ではなく、私たちの奥深くに内面化されていた。

今から思い返してみると、 さまざまなな不安を抱えながらも、私たちにとって、無垢でいられた最後のそして、私たちの中でも最も幸せな週末の一つだったといえる。

充実したセックスのあとの安らぎと多幸感に支配された、希望に満ちた会話、お互いの優しい微笑みを私は今でもはっきりと思い出すことができる。

充実した二人の週末を、キッチンのテーブルに座ったままひとしきりあれこれ思い出し、時計を見るともうすぐ10時だった。
怖れていた一人になる月曜の長い時間がやってきた。