41. 抱擁

投稿者: ゆきお

絵里が涙を見せることは少ない。

激しいやり取りの後で、負けず嫌いのあまり、後で一人で涙を堪えきれないことがありはしても、目の前で話している相手には涙を見せることがないのは、大学のころからそうだった。
特に、話し合いの中で女の武器としての涙を使うことはないというのを私は知っている。
涙の一つでも見せれば可愛いげがあるのにと、新人のころ陰で言われたとことがあると、いつかぽろりと言ったことがある。
その代わりに絵里は、シャープな論理を柔らかな物言いに包むやり方を身につけ、彼女のビジネスウーマンとしての成功もそれによるところも大であった。
そうした性向は私との間でもそのままで、絵里が涙を私に見せるのは、大きな嬉しさか、近しい者の不幸にあったときのような単純な悲しみの表現にしかないと言ってよかった。

だから、目の前の絵里の涙は、彼女の中にそれまで鬱積していた感情のエネルギーのただならぬ大きさを物語っていた。

私は立ち上がり、ソファーの絵里の側に腰を下ろし、その肩を抱いた。
ワイングラスの脚をぎゅっと握ったままこわばっている指を一つ一つほどいてやると、絵里は姿勢をかえ、無言のまま私の胸に頭をうずめてきた。
私も絵里の肩をぎゅっと抱いた。

そのままの姿勢で二人とも、時間を止めようとでもするかのように、言葉もなく強く抱き合う感覚の中に、意識を没入させていった。

目の前にある定かでないものを前にしながら一体となった感覚は、不安の中にも、確かに私たちに幸せなひとときをもたらしていた。

その時と同じような時間、同じような気持ちを彼女が私でない男と共有するようになるということなど、その時は予感するはずもなく…。

女性の涙は、男性の性欲を抑える働きがあるという。
涙に性欲を掻き立てられるのがほんとうのサディストなのだろうと思う。
私は幻想の中で、絵里を加虐的性愛の行為の中で責める、いや、絵里が責められるシーンには激しく興奮しはした。
しかし、その時、目の前で涙する絵里には、愛おしいという感情は抱いても、肉体的に欲情するということはなかった。

抱擁の間、意識の力というよりも、目に見えない何かに導かれるように、私の思考はいろいろとめぐった。

長い抱擁のあと、その時間を壊すことを恐れるような気持ちを抱きながらも、胸にめぐる思いのはけ口を見つけるように私は口を開いた…

「絵里、ぼくは聞きたいことがまだたくさんあるは確かだ。でも、今はいい。絵里が話せる気になったときに話してほしい。絵里は、ぼくが傷つくからという気遣いはしなくていい。それでも、絵里がぼくに話すことで苦しいというのだったら、ぼくは絵里が楽に話せる時を待つよ。でも、それを言わないとぼくらの仲が今のままじゃなくなる、そんな時にはぜったいに話して欲しい。話し合わなくちゃいけない。ぼくは絵里の判断を信じる。それさえ約束してくれれば、絵里は絵里がいちばん楽なようにしてくれさえばいい。」

契約書については、具体的に絵里に対し問い質したいことは、まだまだあった。しかし、私は、抱擁がもたらした二人の間の無言の一体感を壊したくなかった。

私は言うべきでないことを言ってしまったのだろうか。
そうかもしれない。

しかし、その時、私に言いづらい事を言うことで絵里が苦しむのだったら、むしろそれを聞かないことで自分が苦しむのは我慢しよう、私はそれに耐えて行ける…と思ったのは確かな気持ちだった。

私とのことを大事にしながら絵里が自分の中でいろいろなことが処理できるのだったら、それはそれでいい。
それができない時にちゃんと相談してくれさえすればいい。
そして、私の役割は、絵里がいろんなことを重荷に捉えないで気軽に話せるような環境を作ることだ。
そんなふうな決意をした。

その気持ちは、そのときの絵里とのひと時の中で私の中に自然に芽生えてきた、偽りのないものだった。
その時の私にとって、それは論理的な解決に思えた。

もし過ちがあったとしたら、絵里の強さを過信したことにあったろうと今は思う。