42. つかの間の興奮

投稿者: ゆきお

私の胸に顔をうずめるようにして、私の言葉を聞いていた絵里は、小さな声で「ありがとう」と言った。

ありふれた言葉だが胸に響いた。

二人の時間に浸り絵里の長い髪を撫でながら、今日はもうこれ以上質問をするまいと決めていた私は、「もう寝ようか。遅いから。」とだけ、提案した。
絵里小さく頷き、私の頬に軽くキスすると、何かを振りほどくように立ち上がり、寝支度のためにバスルームに向かった。

私より遅れてベッドに入ってきた絵里は、疲れているときよくやるように、体をくの字にまげて甘えるように私の体に向かって横臥した。私が静かにその背中を抱いているうちに、涙あとの緊張のほぐれのためか、体の力がぬけそのうちピクっと何度が痙攣するような動きがあり、眠りに落ちる気配がした。

仕事での緊張も大きかったのだなと思った。
朝の満員電車での通勤に始まって、一日かなりのストレスにさらされる仕事、そして、帰ってきてのこの私との話し合い。
無理もない、と思った。

絵里が寝息を立て始めると、姿勢を仰向けにして寝かせてやり、サイドボードに持ってきてあったワイングラスから、絵里がほとんどそっくりそのままのワインを飲み干した。
契約書の様々な条項がランダムに頭のなかで渦巻く中で、私も疲れを感じていき酔いに身を任せながら、眠っていった。

翌朝、またいつものようなリズムの生活が始まった。
いや、それを始めようとした。

絵里が出ていくと、手元にある契約書のコピーを見てあれこれ考える誘惑と、仕事に専念するという意思の力の間に引き裂かれながらも、どうにか仕事を続けていくことに慣れようとした。

絵里は少しは遅くはなるけど、食事はちゃんとするということで、私はいつものように、食事の支度をし、絵里の帰り待った。

軽く一杯やりながら待っているうち、昼間の緊張がほどけ、絵里の契約書の内容が絵里の姿と重なり、淫らな妄想に結びつきついてきた。
性的な興奮を覚え始めてきた。
胃を締めつけられるほうが強かったこれまでの感覚が、下半身移ってきたことは、まだ救いのように感じられきた。

そんなところに、絵里が帰ってきた。

いつものように、できるだけ他愛ない話をしながら食事をした。
その間にも、食事が終わりくつろいだときにやはり、「そのこと」が会話の主題なる時間が来るだろうということが、何度も頭をかすめた。
絵里のほうも同じだったろう。

二人で努めて平穏な日常を装いながら、不穏な場所に避けがたくじりじと近づいていく時間過ごす…そのことがいわば私たちの日常に組み込まれ始めていた。
週末向かってのこの数日がそうであったし、そして、絵里が帰ってからこうしている時間のこのところの日々の繰り返しがそうであった。