52. 「きみのこと考えてた」

投稿者: ゆきお

いったん話の方向性が途切れると、たわいもない話題での会話が続いた。

ちょうど帰りの便の搭乗を待っているとき母親から電話があったこと。
そこで聞いたという、昨夜の叔父夫婦の近況。
私たちも知っている彼らの知人の病気。
絵里が帰りの機内誌で読んだという観光地やレストランの話、等々。

二人ともある一点を痛烈に意識しながら、その周囲を過剰な言葉を弄びながらぐるぐると回っているようだった。

そのうち、絵里の体力や明日の仕事のことを考えるとそう長々とたわいもないおしゃべりを続けている訳にもいかない時間になっていた。
話題が一周してきて、その土地の雪景色の話になった時に、思い切って切り込んだ。

「それでさ、どうだった?」

「うん。」

「うん、じゃなくて、話してよ。」

「どうだったって?」

「肝心なことさ。」

「何、話したらいい?」

「いろいろ。」

「いろいろって?」

「プレイ。」

「そうね…話したほうがいい?」

「そりゃそうさ。」

「そうね…」

「さあ、観念して、一晩中どんな風に責められれたか、話してもらおうじゃないか、奥さん。」

わざとおどけた私の調子に、固くなりかけてきていた絵里の表情がまたほぐれた。

「って言っても…。あのね、まず、そんなに一晩中っていうんじゃなかったのよ。」

「あ、そう。」

「そう。」

「じゃあどのくらいの時間さ。」

「3時間くらい。12時にはホテル出た。」

「その後は。」

「泊まったほうのホテルに送ってもらって、そこのバーでちょっと飲んでおしまい。」

「そのあと、部屋に一緒に行ったの?」

「ううん。部屋には一切入れてないわ。小野寺さんはロビーから先には行ってない。そういう約束にしたの。」

「ふうん、ずいぶん紳士的なんだね。」

一流のシティホテルで絡み合う男女の姿の想像は、まったく私の空回りだった。

「それで、その3時間で何したの。」

「迫るわね。私にも心の準備っていうのがあるわ。もうちょっと落ち着かせて。」

「じゃあ、昨日お昼着いてからの話してよ。」

少し引いた地点から、方向だけは失わないように、昨日からの絵里の行動について順序だてて話を続けてもらった。
もちろん、そうした部分も私の知りたいところだ。

絵里の話によると土曜日の行動はだいたい次のようだった。

絵里が空港へ到着すると、約束どおり男が迎えにきていてて、ハイヤーで空港からその都市に行く途中の町でいったん休息し、乾杯がてら簡単な遅い昼食を取った。
それから同じハイヤーでホテルに行き、絵里だけがチェックインし、15分ほどの休息の後ロビーで待ち合わせることにした。
夕方から夜にかけては、市内を観光案内してもらい、その後、ホテルに戻りレストランで夕食をとった。
9時ごろに例のSMホテルへ行きプレイをして、ホテルに戻ったのが12時すぎごろ。
そして、すでに話したようにホテルのバーで飲んだあと、絵里だけが部屋に戻った。

「じゃあ、昨日の夜中から今朝にかけては一人で部屋にいたというわけ。」

「そう。」

「なんだ、そしたらメールすればよかったのに。」

「そうね。ごめんね。どうしてもそういう気になれなくて。」

「まあ、分かるけど…」

「次から、もうちょっと慣れたら、できる気分になるかもしれない。」

「慣れたら」という言葉に、事ははじまったばかりで、あと5回こういうことが繰り返されるのだと思った。

「それから?」

「さすがにくたくたで、お風呂に入って上がったら、あっという間に寝ちゃった。」

「今朝は?」

「ゆっくりおきて、一人でモーニングを食べてチェックアウトのしたくをしているところに、小野寺さんが約束の時間に迎えにきて、今度は自分の車で空港まで送ってくれたの。それで途中また少し観光して、空港の近くの町のお鮨屋さんでお昼を食べて…」

絵里の24時間を、肉体目当てである意味「買った」にしては、なんとも鷹揚なスケジュールで拍子抜けした。
が、その分、直接的なプレイ以外でも絵里との時間を楽しんでいる男の余裕が感じられて、むしろ、ただならぬ思いがした。

「空港では小野寺は絵里が出発するまでいたの。」

「そう…。ターミナルで車で送ってくれるだけでいいって言ったんだけど、出発するまで見届ける責任があるって。」

私が話を聞き出せば、聞き出すほど、絵里も必然的に相手の男のことに触れざるを得なくなる。
今まで「向こう」とか「あっち」あるいは「彼」と曖昧に呼んでいた男は、さすがにそれだけでは表現しきれなくなって私たちの会話の中で「小野寺」という名前のある存在になった。
それとともににわかに人格をまとってきた。
「彼が…」という表現が絵里の口から出るのを好まなかったので「小野寺さんが…」という言い方に私は慣れるしかなかったが、私までもがいきがかり上「小野寺」と呼びはじめていた。
絵里の口から彼のことを聞いたり、こちらから質問したいと私が思った以上、遅かれ早かれ避けられないことであった。

話がすでに帰りの飛行機のところまで来てしまったので、話題を戻そうとした。

「ところでプレイだけど。」

「せかすのね。知りたいよね、やっぱり。」

「それは知りたいよ。」

「いろいろやったんだろう?」

「いろいろって?」

「だから、いろいろさ。例えば…」

「…思ったより痛くはなかったわ。」
さえぎるように絵里が言葉を挟んだ。

「…絵里が痛みに強いってこと。」

「そうじゃなくて、とてもライトだったの。」

「ライトって何故分かるんだい?もっと期待してた訳?」

「そうじゃなくて、『今日は、最初だからチェックがてらほんとに軽く』ってはじめに直接言われたの。」

チェックという言葉はある意味何か生々しいものを感じさせる。

「なるほど。次から、本格的になるっていうわけね。」

「そういうことになるわよね。」

「感じた?」

「…」

沈黙が続くところに、たたみかけるように、思い切って訊いた。

「やった?」

「したわ。それは…」

質問を受けて絵里が躊躇したのは一瞬で、事も無げにさらっと答えた。

「何回?」

「1回」

「ほんと?それだけ?」

「何、期待してるの。きみ。」

「期待してるわけじゃないけど。」

「ホテルにいた時間、そんな長くなかったと言ったでしょ。」

「大忙しだね。」

皮肉の出る余裕がこちらにも出てきた。その余勢でか、言葉が出た。

「いった?」

「ん…」

曖昧な沈黙が私の心にさざ波を立てる。

「いったよね。」

「…きみのこと考えてた…ずっと…」

そう言ったきり、だまってこちらを見つめる絵里の瞳は潤んでいるように見えた。

それ以上言葉を重ねて追求することもできず、質問はぐらかすようなその答えの意味するところを、金曜日の晩の絵里の反応を思い出しながら、その晩何度も頭の中で考えることとなった。