56. 曖昧な輪郭

投稿者: ゆきお

寝物語に紡ぎ出される絵里の語りに何かが欠けていると私が漠然と感じていたことについては、今ではおおよそ次のようにある程度整理して言える。

一つめに、そこにはまず、二人がその3時間の間に生きたことについての、ストーリーとしての流れが欠けていた。
全体の時系列は前に述べたようなぐあいの程度には分かっている。
しかし具体的な細部を時間順に並べても、そこからこぼれ落ちるものがある。

時に行きつ戻りつし、時には同じことを反芻しながら、多くは私が誘導して聞き出したので、話に粗密ができたのは確かだろう。

しかしその「粗」の部分で、しかも簡単に言葉にできないものは、出来事が、流れを持ったストーリーとしての全体像に結ばれるにあたって本来重要な要素であるはずだ。

例えば、絵里がおそらく生まれてはじめて縛られたとき、そこにはどのような空気が流れていたのだろうか。
男はどのような口調で何と言ったのか、絵里はどのような様子で何と答えたのか。
どんな二人の表情があり、どんな視線が交わされたのか。

そうしたことについて、絵里の話から何か確実なものが像として私の中に結ばれることはなかった。
しかしそれは、例えば交わされた言葉のニュアンスだけとっても、絵里がそのときの台詞を正確に伝えとしても、 伝達不可能なものではあったろう。

衣服を次々と剥れ、縄が新たにからみつくとき、二人の間の空気はどのように変わっていったのか。
ホテルを出るとき、絵里はどんなふうに服を着、男はその間どうしていたのか、一緒にホテルを後にする時、二人は、入った時とどのように変わっていたのだろうか。

実際のプレイ以外の部分を含むそうした大きな流れ。
結局のところ、そうしたものは言葉にできる範囲を越えていたし、絵里にして意識的に語ることはできなかっただろうとは思う。

二つめに、絵里の心の動きもやはり曖昧にしか分からなかった。

「怖かった」、「痛かった」、「それほど痛くなかった」、「ヒリヒリした」、「感じちゃった」、「頭がぼうっとした」、「あそこが熱くてどうしようもなかった」「気が変になるかと思うくらい感じていっちゃった」、「 きみに悪いと思った」そのような感覚や直感の言葉をいくら積み重ねたとしても、それは深いところでの心の動きを教えるものではない。
それは、絵里自身にも、そして絵里でなくても誰にとっても、会話の中では簡単に言葉を見つけらない類いのことでもある。

例えば何回か後に登場する熱蠟やフェラチオについて、「最初は熱くて耐えられないと思った。でもそのうち快感に変わった。」とか「息がつまって苦しかった。でもそのうちなんとか慣れた。フェラチオは嫌いではないかも。」というような言葉が寝物語に語られた。

月並みだがか、率直な言葉には興奮させるものがある。
その月並みな言葉に飽き足らなければ「それで、どんな風に? 」という質問を重ねていくことで、「ちくちくする感じが、体のあちらこちらに広がって」とか、「苦しいんだけど、一生懸命やっているうちに、興奮して私のほうも濡れてきて…」というような言葉を彼女の気持ちを表現するものとして引き出すこともできるし、実際そうした。

しかし、そのことで、絵里の気持ちについて全てが語られたと言うことができるだろうか。

恐らく自省的な長い文章でも綴らない限り伝えられないような、深いところでの心の動きというものがある。

実際、熱蠟やフェラチオについて、機会を重ねるごとに変化する感覚を語る絵里の内省的な言葉を、やはりずっと後になってから知ることができた。
そしてそこで、単純化な会話では知り得ないし語り得ない感情が絵里の胸中に走っていたことをはじめて知り、その奥深さに愕然としたのだった。

三つめに、絵里が語ったことは、細部においても、全てではなかった。
これも後で分かることになる。

私の質問に否定系で答えたことについて、それは全て真実であったと思う。
例えば初回の時にバイブやディルドが使れなかったこと、フェラチオも要求されなかったこと…。
絵里はあったことをなかったと言って隠すことはなく、その意味で私に対して率直だったと今でも信じている。

しかし、絵里が積極的に自分から語らないために、触れずにおかれたことはあった。
例えば、鞭と縄の跡の手当を蒸しタオルで丹念に施してもらうというようなこと。
これはずっと後になって二人のプレイに立ち会ってみてそのような行為の存在を 知った。
私のほうでは思いつきもしなかった細部で、そういうことに私の質問がいかなかったから、絵里も言及しなかったと言ってしまえばそれまでだ。
しかし、その時に両者の間に流れる濃密な情緒の空気を考えれば、実のところそうした事は、取るに足らぬ細部ではなかった。

私の知っているSMプレイはネットのAVを通してのものだった。
商業的に作られるそれらは 、女性たちが快楽や苦痛に呻くところを専ら映像にし、それで、男たちを手っ取り早く勃起させようとする。

しかし、実際のSMプレイは、目に見える激しい反応を相手から引き出すところ以外でも大事な部分が進行している。
実際の経験のない私は、その部分にあまりに無知であった。

結局、私たちの寝物語の中では、絵里がプレイで生きた時間は、私の興味と、そこから引き出される私たちの悦楽のための絵里の語りを通じて再構成されたものであった。
そして私の受け取った部分は、私の未経験を反映して、ある意味、AVレベルのものにすぎなかった。
だから、私の求めに応じて細部が語られれば語られるほど、語られない部分も多くなっていっただろうということは今になって想像がつく。

私の望んだ具体的な細部にもかかわらず、絵里の話に輪郭が曖昧だと感じたのは詰まるところ、それらの諸々の理由による欠落からくるものであった。
もっとも、このようにして整理して考えられるのはずっと後になってであり、その時の私は、それを直感的に感じていただけだった。

輪郭の曖昧さの印象は、初回の後の語りだけでなく、半年間を通じて結局は拭い去ることはできなかった。
しかし、具体的な細部の刺激に酔っていた私は、曖昧さの直感的な印象を持ちながらも、その曖昧な部分に潜むものが持つ容易ならぬ力に十分に気づいてはいなかった。