63. 無邪気

投稿者: ゆきお

想像とのギャップはあるにしても、ともかくも語られた限りにおいてプレイのつ一つの情景、いや絵里にとっては体験であったものを、私たちは、絵里の口から発せられる言葉によって自分たちが過ごす夜のものにしようとした。

私たちのベッドでの戯れは、いったん時系列に終了した語りをいろいろな形で反芻しながら、ほぼ毎夜のものとなった。

一回めのあとの夜々の語りで手探りで二人で作っていった解決法が、今度は揺るぎないものとして確立され、運用されていった。
そして、そのことで私たちは、危ない火種を含んだものを上手に飼い馴らしているような気分になった。

何も語らないま重苦しい時間を過ごすよりも、婚外の性をフランクに打ち明けられる、いや露骨にあっけらかんというよりもフランクでありながら、官能的な戯れとともに語り合える、新しい形のカップルに移行しつつあるという手応えがあった。

以前よりよく笑い、やく食べ、よく飲み、よく語り、よくセックスした。

私だけでなく、案ずるより産むが易し、というような思いさえ、二人の間に広がった。

あと4回のプレイは、そのまま私たちの方法で飼いならされながら、私たちの生活を生き生きと豊かなものにして、過ぎていくように思えた。

時折訪れる曖昧な部分の存在への懸念はあった。
しかし私たちの間に流れていた多幸感は、それを吹き飛ばすほどのものだった。
それほどに私は、私たちの前に新たに開かれた性の快楽に、自分たちの新しい関係と思ったものに無邪気に熱中していた。

一人で考えている時にも、何となく、「賭けに勝った」といような考えも浮かんできた。

私は大金を払って自分の妻を異国の古城で調教させる医者のことを書いた小説のことを思い出していた。

「俺は運がいい」という言葉さえ頭の中で響いた、

小説の中のその男は大金を積んだということだが、私の場合、相手は無償でやってくれる。
絵里は仕事上のポイントを得る。
そこでの責めで一晩辛い目に合うとしても、それは絵里が自分で決めたことだ。
それに、そこで快楽を得るならば、月に一度の絵里の気晴らしのようなものと考えればそれはそれでいいではないか。
絵里が言ったように、私はかつて、彼女を別の男に抱かせたいという妄想まで持ち、実現寸前まで行ったことさえある。
そして、思わなかった形だがそれが今実現した。
一時の苦しみはあったが、それは上手く乗り越えられて行く。
それに、元々SMプレイのようなものに私は興味があった。
絵里を相手のSMプレイを妄想することさえ、この話の前からあった。
ただそれを絵里に実際にしかける勇気がかなかった。
絵里はこの期間が済んだらという条件で、今度は私を相手にプレイを続けていい、いや続けて欲しいというようなことを匂わせている。
よいきっかけではないか。
そしてこんな奇妙なきっかけからではあるが、日常生活においても二人の絆は強くなってきている。
この話のどこにも不都合があるというのだろうか…。

そんな考えを頭の中で何度も反復した。

禁忌の日の妄想癖を除けば、絵里との生活が夜の戯れを通して彩りのあるものななるにつれ、私の情緒も安定し、仕事への意欲も充実してきた。
新しい翻訳書の企画のアイディアも湧き、実際に知り合いの編集者とのやりとりも始まった。

俺は運がいい…。

しかし間抜けたことに、私は自分たちの状況を漠然となぞらえた、その医者の物語を、紹介とさわりをどこかで読んだだけで、その結末を知らなかった。
その小説を手に入れ、最後まで読み、結末を知って苦笑するのはほんの最近、実はこの日記を書き始めてからのことである。

その小説をその時ちゃんと読んでいれば何かが、変わったのだろうか。

いや、それでも、小説の中のコミュニケーションを欠いた夫婦と、上手くやっている自分たちを引き比べ、無邪気な優越感に浸ったのだろうと思う。