64. チャレンジャー

投稿者: ゆきお

「私、大丈夫。最後まで耐えらると思う、この試練。」

「そうだね。あと4回か…。これからますます厳しくなるよ、きっと。」

「そうだと思うけど。がんばる……がんばれる、」

「鞭とかもっとたぶん、強くなるよ。だいじょうぶ?」

「怖いけど、いまさら泣き言言えない。」

「あんまり辛かったら、少し交渉して緩めてもらうこともできるんじゃない。どうしてもだめなときは途中でやめたっていいよ。あとはどうとでもなるさ。」

「ありがとう。でもだいじょうぶ。ギブアップしなくても済みそう。」

このあとやっていけるかどうかについて話になったことがある。

私のこの言葉の中に込められた、絵里のことを気遣う本心には何の偽りもない。
しかし同時に私は絵里が途中でやめることはないだろうと思っていた。
たぶんプレイを緩和してもらうよう申し出ることも。
そしてその予想は、図らずも絵里の使ったギブアップという言葉によって確信となった。

絵里は、いわゆる負けず嫌いで、それも人との競争というよりも、自分にとってチャレンジとして突きつけられたものに対して、それを乗り越えないと絶対に気の済まない性格だった。
与えられた課題をベストを尽くしてこなそうとする典型的な優等生タイプの部分を強く持っている。
普通の優等生ともやや違うのは、小さな馬鹿馬鹿しいゲームのようなものにでさえ、目的を考えないで時々スイッチが入ることだった。
普段はあまりそういうものに関心を示さないのに何かのきっかけで、それを勝手にチャレンジと捉えてしまうと、最後までやり切らないと自分を許さない。

修士の時代に、知り合いが主宰しているハーフマラソンの会に一時参加した時がそうだった。
それはもともとは、私が誘われて、ついでに絵里を誘って軽い気持ちで参加したものだった。
初めてのとき、二人ともちゃんと完走できなくて、最後仲良く歩くようになんとかゴールインした。
まあこんなものだろうと思う私の傍らで、他に女性が何人も軽く完走したのを見て悔しがった。

絵里はもともと運動が得意というわけではないし、中高で陸上部にいたということもない。
しかし、なぜか長距離だけは高校のころクラスの上のほうで、ハーフマラソンこそ走ったことはないものの、10Km走は何度かそこそこの記録で走ったという。
そのため久々とはいえ、長距離走での落伍は、自分の元々の資質とまだ若いという気持ちに突きつけられた挑戦、それに対する挫折と写った。

そして、完走した知り合いたちからアドバイスを訊き、忙しいという理由で早々に脱落した私を尻目に、何度かいっしょにトレーニングに加わり、3か月後に行われた次の回で完走した。そのあと2度も参加して記録を伸ばしたあと、次はフルマラソンというところにまでなった。
そのうち絵里のほうもバイトや論文でそれどころではない忙しさになってさすがにフルマラソンの話は立ち消えになったが、彼女ならたぶん完走まで持っていっただろうと思う。

思えば、2回めの参加で、へとへとになりながらも満面の笑顔で絵里がゴールインし、私がゴールラインの観衆に混じって優しく微笑み拍手しながらそれを迎えたその時、私たちの力関係は決まっていたのかもしれない。

ともかくも、全体の目的のことに思い悩み迷うことよりも、とりあえず目の前のチャレンジに熱中しするという絵里のこの性格は、会社組織の中で彼女に大きなアドヴァンテージを与えた。
私から見て理不尽とも思える組織の要求を絵里はストレスに耐えながらこなし、上司たちから信頼と評価を得て今の立場を築いていった。

絵里は、最初、小野寺との6回のプレイの交換条件による裏取引までも含むビジネスのネゴシエーション、プロジェクトの成功を職業人としての自分のチャレンジととらえていただろう。
だからその一連の計画の裏の要になっている6回のプレイを投げ出すことがないのはあまりに明らかだった。

しかし目的を度外視しても時として目の前の試練に熱中するという彼女の性格から、今まで自分の知らない世界だったプレイのほうに試練の中心が移っていったことを、私はこのときはっきり気づいた。

「試練に耐える」という言い方は、実際のプレイに絵里が通い始める前、小野寺からの提案の話を私と話しあっているときにも出た言葉である。

今回同じようなやりとりがあったのは、主に鞭打ちや乳首のクリップの痛みの話に関係してであった。

そうした言葉は、この時点では、絵里がプレイを受ける際の心構えや、SMプレイというというものについて認識は、それを受ける前に抱いていたのと基本的にはそう変化していなかったことを示しているだろう。

しかしSMの行為には、試練に耐える、責めを我慢するというような要素以外のものがある。

そこには苦痛を通しての快楽というものがもちろんある。
そのくらいのことは私も絵里も最初から常識的には知ってはいた。
しかし、その快楽についても単純で無邪気な観念しか持っていなかった私たちは、苦痛を通しての快楽という以上の、深く暗い力の要素がそこにあること、その意味について十分に悟ってはいなかった。

いや、彼女が2回目のプレイのあとその言葉を発したときには、もうすでに完全に無邪気とは言えない経験者として、その別の要素の意味にうすうすとは気がつきはじめていたのだろうか。

しかしどのくらい?

彼女が「試練に耐える」というような表現をこの後使うことはなかったが、もし心の中にそういう思いをずっと抱いたにしても、彼女の中で「試練」の意味がだんだん変化しただろうということは、今となっては十分に想像できる。
そして、何が試練なのかについての観念が、自分でも分からなくなるほど混乱してていったのではないか。
自分が試練に勝ったのか負けたのか絵里は最終的にどう思ったのだろうか。