68. 「私たち」

投稿者: ゆきお

目の欲望が遠慮を凌駕していった。

最初私がその気持を述べたとき、絵里は当然、契約書にあるから映像や画像なんて無理と、にべもなくその可能性を否定した。
それに対し、あれこれの理屈をつけ、論理にならない論理を展開して、希望を叶えてくれるよう私は絵里に迫った。
最初控え目な希望の言葉だったものは、最後は懇願と説得になっていった。

そうした会話は危険な火種をも含んでいた。

「どうしても見たいの?」

「見たいよそれは。」

「変態ね。」

絵里の余裕あるユーモアに吹き出しそうになりながらも、ちょっといらっときた。

「え?もともと変態なことしてるのは、そっち…、絵里だろ。」

「それはそうだけど…。」

「…」

「ヘンタイって言ってもちょっと違うような気がする、…きみとは。そうね私…、私のばあいでは…。」

私が何を怖れて言葉を言い換えたのか、絵里が何を怖れて代名詞の語尾を飲みこんで言い直したのか、お互い気づいた気配、微妙な緊張感が、行為の後の余裕のあるユーモラスの調子でこれまで話してきた二人の間に漂った。

一方の側の私と、もう一方側の二人のイメージ…。
暗い空間と革と鞭による厳かとさえ言える雰囲気の中で官能に戯れる男女、その様子を一目みようとうろうろする一人の覗き魔の男。

私がこの話の中で、あれこれの理屈を並べるたびに、「向こう側の二人と私一人」のイメージが喚起されようとするのを、お互い注意深く避けながら、言葉の攻防戦をすることとなった。

しかし、私の希望が、単純に言えば、二人の男女で行なわれる行為を一人の男が見るという本質を持つ限り、どうやってそれを避けられるというのか。

いくつもの晩、話は堂々巡りになった。

「どうしても見たいの?」

「見たいよ。」

「どうして?」

「君の体験を分かち合いたいから。」

「どんな体験を分かち合うって思ってるの?」

「試練を分かちあうこと」などという言葉は、もう大まじめでは使えないのほど、嘘くさいことは私にもとっくに自明だった。
かといって「君の快楽を分かちあうため」とも言えない。
それは「君たち二人の快楽のおこぼれにあずかりたい」と、言うに等しいことだ。

話せば話すほど「絵里たち二人と私一人」という構図が私の心を刺す。
その一方で、どうしてでも絵里の姿を映像で見たいという欲求に加え、どうにか絵里を説得するというのが私のチャレンジになった。
それは私なりに絵里を支配したいという欲求の表れだった。

面白いことに普通の会話でななら、ちょっとした言い争いの種になるような私の態度に、絵里がそこでいらつくことはなかった。
むしろ、性行為の満足の後の満ち足りた気分の中で、絵里と私はこの力のゲームを後戯のように楽しんだ。
肉体の快楽の満足にするようになった私たちは、お互いを直接に傷つけることを薄氷を踏む思いで避けながら、ぎりぎりの綱渡りの言葉を弄ぶこと、それ自体がもたらす一種危険な快楽に深く浸っていた。

絵里の出発する前々日に、私の口からなんとなしに出た言葉で、堂々めぐりの議論に思わぬ形で終止符が打たれた。

「ねえ、どうして見たいかって、今こうやって、君があったことを話してくれているのと同じ理由さ。ぼくらのために、その記録が見たい。」

「私たちのため…?」

「そうだよ。」

「そうね…。」

やっと会話の中に、こちらにいる二人とあちらの一人というイメージが戻ってきた。
絵里も明らかにそれに乗った。

「説得するの難しいと思うけど。」

「やれるかもよ。」

「やれるかしら。」

「やってみようよ。」

「そうね、やってみようかな。」

「頼むよ。」

「どう言えばいいと思う…。」

なぜ「私たちのため」となるのか、その根拠などどうでもよかった。
この一連の話題の中ではじめて「私たち」という言葉が口に出して使われ、それはまぎれもなく絵里と私の私たち二人を指していた。
そのことが二人にとって重要だった。
少なくともこの話をしている時、二人は、今ここの「私たち」を信じることができた。
絵里の納得は、私のためというより、この線で会話を続けることによって、この件の中にやっと戻ってきた「私たち」にすがり、二人で協力して何かをするという概念にすがりつけるからだったと私は思っている。

「結果は保証しない」と絵里は言った。

実際、この種のことに関して小野寺が抱いている考えは、絵里にでさえまったく未知だから、それは最も正しい答だろう。
が、結果はともかく絵里が「私たちのため」に、小野寺にこのことを話すというのが、私にとってはいちばん重要な点であった。

詰まるところ、私は、「私たち」という論理で絵里を納得させ、私たちの向こう側にいる一者に対して何かを言う使命を負わせるという言葉の力のゲームを弄び、絵里もそれにのったということだが、いずれ私はその構図の復讐を受けることになる。

「例の件、了解。
ただし結果の保証は無し。」

簡単な早めの夕食のあと、昼間のメールを見直した。
自分に課した今日のノルマがあと2頁ほどあると思いながら、ひとしきり「例の件へ」への考えが巡る。

絵里はやってくれるだろうか、うまくやってくれるだろうか?

さすがにこのことを絵里は、小野寺と直接会ったときにしか話できないと言ったので、すべては到着してからとなるだろう。

考えてみれば、これは、私が絵里のパートナーとして、相手方と絵里への提案の形で、この件に初めて関与することでもあった。
見方によっては、それは同時に、自動的に両者の間に行われている行為に、暗黙のもの以上の了解を与えることでもあった。
パートナーとしての存在感を示したことを是とすべきか、それとも二人の行為の存在を相手の男に対して認めてしまったことを恥ずべきなのか。

絵里は自分のデジカメを携えていった。
今の機種だから動画も撮れる。

絵里が持ち帰るかもしれない画像の中身に動画も含まれるのだろうか。
それとも何らかの方法で、帰宅を待たずして、こちらに何かを送信することに同意するのだろうか。
しかし何をいつ?

リズムを取り戻そうと仕事に戻って、今日のノルマのページの翻訳が最後の段落にさしかかかったときに、PCのメールの着信のポップ音がした。
もう7時だ。
幸せなことに時間を忘れるほど仕事に熱中していた。

驚いたことに絵里がプライベートで主に使っているGmailのアドレスからのものだった。
今回、絵里はこの時期の緊急の仕事の連絡に備えられるよう、自分のポータブルPCを持って行っていた。

メーラーの一覧のところに、「例の件」という件名が見え、はっとした。
話の首尾はどうだったのだろう、もどかしい思いで件名をクリックして本文を開こうと思ったとたん、添付ファイルの存在を示すクリップマークが目に入った。

ズキンという音が聞こえるかと思うくらいのショックが鳩尾に走った。
そして、これも音が自分で聞こえるかと思うくらい、胸が早鐘のように鳴りはじめた。