75. 名誉

投稿者: ゆきお

それは私がこれまでの人生の中で受けた最も残酷な叱責だった。

小野寺の言葉は文句のつけようがないほど筋が通っていた。

しかし、相手から正論を言われたからと言って、必ずしも人はそれを叱責と感じる必要はない。

「あなたの彼氏はあなたのことを、ちゃんと考えているのか」…、そんな分を越えた上目線の言葉に、無条件に反発することもできただろう。

確かにあなたは、今晩絵里とプレイする権利を買って持っているかもしれないが、あなたに、私たちの夫婦のプライヴェートなことをいう権利はないし、百歩譲って私が軽率だったとしても、絵里に対する私の思いに触れるような説教をする権利はないだろう…そう反論することもできた。
あえて「夫婦」という言葉を使いたかった。

絵里からのメールにかっとなって、そんな私の反論を絵里への返信のメールとして、小野寺に伝えてくれとのメッセージを添えて送りつけようという気持になったかもしれない。
そして板挟みになっている絵里のことを思いやり結局メールを送ることをやめる…。
自分の普通の行動ならそんなところだ、というのが自分で分かる。
もし、翌日に口頭で絵里からそのようなことを言われたとしたら、やはり絵里相手に憤慨することだったろう。

しかし、私はそんな、メールを — たとえそれが送られないメールであると知っていても — 書きかけることもなかった。
いや、できなかった。
明日、絵里に対して自分の憤慨をぶつけることもしないだろう。

それは小野寺の言うことに百パーセントの理を認め、それに敗北したからではない。
私に小野寺の言葉を抗えない叱責と感じさせ、私の反発する意思を出鼻で削いだのは、別の部分にあった。

それは、メールの最後のほうで絵里が報告してくれた二人の会話である。

あなたの彼氏のコンピュータ、 ウィルスに感染していないか、怪しいファイル交換ソフトとか入れてないか、確かめたほうがいい、とまで言われた。– 私と同じで彼もMacだし、それに交換ソフトなんか使うような人じゃないって、もちろん君の名誉のために言ったけどね…。

私がMacに代えたのは2年前で、それは絵里からの誕生日のプレゼントだった。
それまではWindows のPCを使っていた。
そして私はその中に、「流出」という言葉で会話の中で示唆さている有名なファイル共有アプリを入れて使っていた。
いろいろな動画を求めてのことで、その中にアダルト系のものも含まれていた。
もちろん絵里には言っていないし、言えない。
絵里が会社の中でセキュリティ管理者になってからは尚更のことだ。

しかもMacに代えてからも、その味が忘れられず、しばらく互換のアプリがないかいろいろ探し、かなり面倒だと分かって、結局渋々なしで済ますことにした。
そして、MacにもWindowsが容易にインストールできるようになってきたので、いずれはOffice系の純正のアプリを入れるという口実でそれを行ない、そのときにはその共有アプリを復活しようかとさえ考えていたところだった。
しかも、絵里に対して彼女のMacにもWindowsが入っていると便利だからと説明し、その費用を二人の共通の家計費から出させようと狙っていたところだった。

だからその会話は、私の良心の最も深いところを刺した。

「交換ソフトなんか使うような人じゃないって、もちろん君の名誉のために言ったけどね…。」

私の名誉を守ろうとした絵里の言葉によって、私は逆に、自分の心の中で自分の名誉を自分で剥奪することになった。

だから、小野寺の言葉に反発するよりも、それをまず叱責と感じた。
一挙にすべての事柄を自分のほうにネガティヴに解釈するスパイラルに陥いった。

「確かに私たちのほうが軽率だったのかもしれない。」…
「私たち」という絵里の言葉遣いは、私に対する思いやりに満ちたものだった。
その絵里の思いやりを感じるよりも、いや感じれば感じるほど、ネガティヴな思考の中で、その言葉は容易に、「きみのほうが軽率で、小野寺さんのほうが思慮深くて、自分のことをよく気遣ってくれるのよ」と読み替えられた。

私はこれまで何の根拠もなく、小野寺という男を、金と権力はあるが低劣な人物、戯画化されたイメージによくある風格も下品な中企業の社長の姿を頭の中に描こうとしていた。
早い話しが取引先の女性社員に枕営業を強いるような男。

しかし、これまでの事の運びから見て少くとも軽率な人間ではないことが分かっていた。
そして絵里をエスコートしての食事先などで伺えるその趣味からも、野卑な人間ではないと見えた。
そして、今日絵里の伝えてきた言葉には、一種筋の通った倫理性さえあった。
たとえそれが偽善であるにしても。
私はその男に完全な倫理的敗北を喫した。

それにしても、これ以上の敗北があるだろうか。
私たちの状況やしていることはやや複雑ではあるが、単純化した普通の言葉で言えば、私は自分の妻を現に寝取っている男から、軽率な行動、妻に対する配慮のなさを指摘された。
その指摘は、まさにこれから男が妻を寝取ろうとしている、いや、もしかしたら現に寝取っている現場で自分の妻に向って発せられた。
そして、そのことを自分の妻が手ずから書いたものによって、しかも道理のあるものとして伝えられた。
それだけではない。
そこには真実があった。
そうして失なわれていく名誉を、妻は私のために挽回しようと試みたが、逆に彼女の知らないその部分で、自滅した。
その自滅は私の心の中のものであるが、逆に私はそれを、妻に言うことすらできない…。

小野寺の言葉は、私の心を直接に刺すものであったが、同時、何も知らず私を擁護してくれた絵里を思うとき、腹の底から胸にのぼってくる痛みを感じた。

辛い二重の、そして二種の痛みだった。

最初のショックから、絵里に対する自責の念のほうが勝ってくると、絵里のメールに早く何か返事してあげなければいけないだろうと思った。
私に対しても厳しい内容を含むものだったから、私の反応を気にしているだろう。

私は、絵里が、これ以上の私からのアクションによって、私のことを気に病み続けながら引き裂かれた心で夜を過すよりも、むしろ私からの負担を免れられることを望んだ。
私のことを忘れて、試練、それがどんな意味の試練であれ、そして苦痛であれ、快楽であれ、それに集中しながら、夜を過し、明日帰ってくるまで少しでも楽な心でいられるようにすること、それがせめてもの絵里への償いだと思った。

「話は分かった。
あと、気をつけて。
何か不都合なことがあったらメールして。」

そう、絵里の携帯に送った。

絵里がメールしてくることはもちろん期待していなかった。