78. 参考資料

投稿者: ゆきお

小野寺からのものだと絵里の携帯から送ってきたブログサイトの、URLをクリックすると

「Y美の記録」

というタイトルのページが現れた。
プライベート設定だという表示と、パスワードを入力する画面だけがある。
最初に絵里からコメントもなしで送られてきた、意味のない文字列がパスワードだという検討がついたので、それを入力すると案の定、中に入れた。

ブログと言っても、数ページだけのものでページには日付けもない。
いくつかの写真のサムネイルが見える。

クリックするが何の反応もない。
ピンときて、URLを携帯からPCに転載しそこから入り直すと、携帯には対応していないスクリプトによると思われるスライドショーになった。
10あまりのグループ、それぞれ2、30枚くらいづつで、2、300枚ほどの画像があったことになる。

基本的にはどれも最初に私の元に送られてきたのと同じような物だった。
たぶん同じ機会に撮られた物で、それがいろいろなアングルから撮られたもの、違う詳細を含むものの集まりと見てよいだろうと思われた。

こちらのほうには目隠しのスカーフがなくて、その代わり後から写真に付け加えられた、黒い目線になっているのもあった。

床に四つん這いで尻を高くあげさせられたポーズのもののには、ディルドが女性器に突き刺さっているのをいくつかのアングルから捉えたものもあった。

椅子に大きく開脚して固定されたものは、スカーフや太い目線で顔を隠しているのと対照的に、女性器の部分には一切の処理がなく、小陰唇までがぬめってばっくりと開いている様子、そこにディルドが突き刺ささっている様子、快楽のあとにディルドを抜いたあとだろうか、開いたまま夥しい透明な液体にまみれている様子のものなどもあった。

少しの変化で同じようなアングルが続くものは、スライドショーで見ると、まるで動画かと思わせる迫真性があった。

何のためにこれほど執拗に写真を撮ったのか理由はわからないにしても、ここにこうしてこれらの写真があり、私のところにそれにリンクが送られてきたことについて、一つだけはっきり言えることがあった。

最初の6枚を見たときから、それらの画像は私に既視感をあたえていた。
さらに詳細なこれらのスライドを見ていると、それらは、絵里が私に語ったプレイの様子そのままと言って確実と思われた。
そうしてそうしたものとして選ばれ、私に見る鍵が送られた。

readmeにあった

「添付の写真は、参考として、一部公開を承諾しているある女性を被写体とした類似のプレイの様子を示すものです。」

や、絵里が、おそらく小野寺の語彙をそのまま使ったであろう「参考資料を追加」という言い方の意味が、いまや紛れようもなくはっきりと分かった。

ただ、すでに薄々と分かっていたことなのでこの時点で衝撃を受けることはなかった。

ここで私に期待される役割は、それを見ながら、私の手の届かないところにいる現実の絵里を想像して、激しく嫉妬に身悶えるということだろう。
もちろんその心理はあるにしても、最初に私の心を占めた思いは、しかし別のところにあった。

「美しい…」スライドショーを見ていて、無条件にそう思ったのである。
それぞれのシーンが妖しい美に満ちていた。

拘束されながら刺激を受けて身をよじるさま、そのとの非情な革と生きた肉体のせめぎ合い。
繊細だが、弾けるような肌に厳しく食い込む縄との間で作られる、その線こそ柔らかそうだが、息も詰まるような緊張感をはらんだ曲線。
縛られ絞り出されたおかげで、一部だけが弾けんばかりに歪に膨らまされた乳房。
乳房の張りと刺激に応えて、腫れるように色を変え、ぬめるように光りさえしながら膨らんだ乳暈、そこから何を求めてか飛び出しているところを金属の器具で押しつぶされ挟まれている乳首。
全身への刺激、直接の刺激によって生き生きと活性化した女性器。
自らの収縮の力と、挿入されたものの外部からの力によって変形している。
外部の力が抜き去られてもなおその名残りをとどめ、伝わってくる熱気と流された液体のようすが、全身の快楽の大きさを伺わせる。
それらすべてがまさに女性の生の証そのものだった。

スライドショーのその妖しい美に魅入られながら、ふと、そこにいるのが絵里だとしたらもっと美しいだろうと思った。
そして、絵里について、それらの記録が残されないのはむしろ残念なことのようにさえ思われた。
小野寺にとっても同じことだろう。
自分も記録として楽しみたいけど…という絵里の伝えた彼の言葉が実感を持つものとして理解できた。

記録を見られないことを惜しむのは同じとしても、もっとも、彼と私の間には、その現場を一度見たものとそうでないものという、越えられない溝がある。
参考の記録で我慢しなければならない私。
その参考の記録を自分で撮り、そして今、絵里を眼前にこの眼で見ながら、同じことを行なっている小野寺。

正常な嫉妬心が戻ってきた。
その嫉妬心による痛みは、むしろ、先程私を襲っていた三重の苦痛を一時的にでも、単純で分かりやすい苦悩で忘れさせてくれる限りにおいて、むしろ歓迎すべきものだった。