92. 学生街

投稿者: ゆきお

大学時代を過ごした街を二人で並んで歩く。
前の日と違って、朝からどんよりと曇っていて、日曜の散歩にはちょっと残念な日和だが、その代り妙に生温く、湿った春の気配がする。

特に申し合わせた訳でもないのに二人とも、出かけるために自然とブルージーンズにTシャツ、スニーカーを選んでいた。

私より7、8cmほど低い絵里はハイヒールを穿くと、同じ背丈くらいと言ってもいいくらのあんばいになるが、この格好だと絵里が小さく感じられる。
近所への外出でもちろんローヒールのことは多いが、こうやって改めて二人で「お出かけ」というときの、この感じは新鮮だ。
絵里が腕を組んでくるとなおさらそれを感じる。

ジーンズとスニーカーでも、シャツにブレザーというこの10年ほとんど変わらない私とは異なり、絵里のファッションは学生時代とは違う洗練を見せている。

以前のGジャンの代りに、形は似ているが、絵里の今の経済力を示すかのようなシックな黒いレザーのスリムなジャケット。
出かけるときに、そのジャケットを見たとき、その黒革の素材の呼ぶ連想に一瞬どきっとしたが、考えてみれば、この季節にはよく着ているものではある。

10年で確かに一回り大きくなったヒップが、今風のローライズのジーンズに包まれ、高い位置でウェストを絞った裾の短いジャケットとの対比で、30代の女性の成熟の雰囲気が際立つ。
ジャケットの下では、ウェストのぴったりした白のブラトップTシャツで、厚めのブラカップの作る人工的な丸みが、いつもより胸の隆起を目立たせている。

乳首責めの後、普通のブラだと乳首に擦れる刺激が辛いので、インナーカップを持つブラトップしか着られないと、その実用的な理由を教えてくれたのは、しばらく後の、プレイについてもう少しフランクに会話するようになってからのことで、その時はその理由を知る由もない。

それにしても、TシャツとGジャンならまだしも、野暮ったいジーンズの上に平気でだぶだぶのトレーナーを着ていたような学生時代の絵里から、今の姿を誰が想像できるだろう。

街は、学生や、学生時代からこの界隈に住んでいるだろうという男女、あるいはこうやって休みの日に、一種の磁場に吸い寄せられるようにやってくる私たちのような人間で賑っていた。

二人で腕を組んで歩くのが心地よい。
特に絵里のような「いい女」に寄り添われて歩くのは、男として誇らしくさえある。
学生時代に生活を長く過した場所というのは、女性に関しては私には分からないが、多くの男にとって、その年代のその社会的身分の男に特有の一種の漠然としたコンプレックスと結びついた、ほろ苦さを喚起するものではなかろうか。
絵里とこんなふうに歩いていると、今日の曇り空の翳りだけでなく、私にとってこの場所につきまとうそんなほろ苦さそのものが吹き飛んでいく。
今朝の絵里の思い付きに今更ながら感謝した。

××軒に着いたのはほとんど2時近かった。
日曜日の遅い時間とはいえそこそこ混んでいる。
客のほとんどは男。
というより、女性は絵里以外に、学生らしい男女のカップルで一人いるだけだった。
今の絵里にはやや場違いな感じがしないでもないが、いったん二人で席に就くとそんな違和感はふっとんだ。

その中華そばは、チェーン店とは違って丁寧に作ってあるという以外には、何の変哲もないということがむしろ取り柄なくらいで、ラーメン通にしてみれば、今更わざわざ電車に乗って食べにくる理由などないようなものだ。
しかし、私たちにとっては、二人の悩みや、怒り、笑い、セックス三昧の怠惰な生活、恋人としての危機、修論のアイディア、将来の野心などあらゆるものが、その味とともに過ぎていったいう点において、かけがえのないものだ。
時に向かいあい、時にカウンターで隣合せに交した、その時々の二人の言葉や表情が、ここにいると蘇えってくる。
無言のまま気まずい思いで、二人してそれぞれじっとこの醤油味のスープを見ていた、今から考えると滑稽なシーンさえ思い出されてくる。

そんなことなど一言も口に出さず、懐しいとさえ言わずに、二人とも昨日まで来ていたかのように、たわいもない話をしながら食べる。
メンマの嫌いな絵里がいつものように、私に最初に箸で分けてくれた。

もし十年後にもこの店が変らず存在したら、そのときもこうやってこのラーメンを二人で食べ、こうやって今、深い思いを秘めたまま何年かぶりにいっしょに食べていたことを、私たちの歴史の更なる一齣として思い出すのだろうか。
その時も絵里は同じようにメンマを選り分けて私のラーメン丼にやるのだろうか…。
そんなことを、絵里の箸の先を見ながら思った。
今振り返ってみると、その考えの前提として、私たちがそこに十年後に思いを同じくして一緒に食べに来ようという間柄であることについて、その時の私は何の疑いも持っていなかったことになる。

絵里の食欲は旺盛で、まだ胃の調子が戻ってなく躊躇する私をよそに、名物の餃子一皿を、久しぶりだからという理由で、別に取ることを主張した。
そして一皿6個の半分をきっちり食べ、私にも半分の3個を食べることを要求した。
かつて私が二日酔いのときに、やはり絵里がそんな行動に出たことを、朧げながら思い出し、苦笑しながらその餃子を何とか片づけた。