95. 槍試合

投稿者: ゆきお

私にとっては絵里が手にしているその古本は、若気の至りを閉じこめた、甘酸っぱい思い出になりかけていた。
一方、絵里はそこに、過去の私たちの情熱を閉じさせずに、現在の私に繋ぐものとして、もっと大事な意味を見い出していた。

実は、食べるための技術や実務の翻訳を減らしてでも、ちゃんとした書籍の仕事に取り組んで欲しいというのは絵里がここ何年か、これほど直接的ではないにせよ、何度か言ってきたことである。

しかし、それができないのは私の一種の怠惰と怯懦であった。
目の前ににやってくる仕事をこなしていくのは、ともかくも生きるために稼ぐという大義名分がある。
それに、事務的に回ってくる仕事とはいえ、断るときは、次がないかもしれないという懸念がいつもつきまとう。
そこがフリーの弱い立場だ。
そうした誘惑や恐れを乗り越えてでも、経済的に見返りが低い上に何倍ものエネルギーを要求する別の仕事に向かうのには、相当の意思の力がいる。
私は実はそのための知的な意思の力を備えていない人間なのかもしれない。
若いころは、将来への希望や絵里への情熱がそれの代替をしてくれた。
そして、それがだんだん希薄になっていったところには、当然のように停滞しか待っていなかった。

そのうち何かが変わる思いながら、かといって自分から何か新しいことを積極的にするわけでもなく、まわってくる仕事をこなし、合い間にアダルトサイトのネットサーフィンをしたり、アリバイ程度ににちびちびと書籍の仕事をする…。
その状態に未来がないのは明らかだ。

ずるずると坂を滑り落ちて行く。
分かっていながら、日常にまぎれて、ゆっくりゆっくりと。
一度理想を持ち、それが壊れはじめた後も、認めずにそれにしがみつき、運命の舵取りを手離したまま生きている同年代の男は私の周りにも多い。
そうした一人になり、それにどんどん安住していっていた。

一方、あと何年かが勝負どころと思って、イレギュラーな手段を使ってでも一挙に賭けに出た絵里は、私と違うものを見ていた。
そしてその目で私を見ていた。

しかしそれにしても、私の仕事について、絵里が社会的成功のほうに力点を置いた話をするのはこれが初めと言っていい。
今までは、「きみらしいいい仕事をこつこつやっていけば…」というような言い方をしていた。

その変化は、やはり、小野寺と会うようになったことに関係があると時直感した。
そして、実際そうだったということは、後からもだんだんとはっきりしてくる。

それについて、この後起ったこと、分かったことも含め、新ためて考えるといろいろな記憶や思いが錯綜する。

絵里とのカフェテラスでの会話があってしばらくした後、私は中世の物語の一つのシーンを思い出した。
騎士の槍試合の優勝者の栄誉に花嫁として与えらていることになっている娘が、その前の日に、すでに恋仲になっている男と逢引し、絶対に勝ってほしいと懇願する。
「あなたが勝ってくれないと私は…。」

絵里の胸の中で始まっている、二人の男の架空の戦いの土俵の上に私を無理矢理にでも上げようとしているのではないか…。
そのことを、このカフェテラスでの会話のとき私は直感し、その自問はしばらく続いて行った。