101. 錯綜

投稿者: ゆきお

4月になった週末とともに、私たちの夜も戻ってきた。
絵里の仕事はやはり忙しくなったが、その中でも、抱負に包まれた明るい活気があった。
よく喋り、よく飲み、よく愛しあった。

先に述べたとおり、絵里が約束した語りは簡単には進まなかった。
語る絵里、質問する私の両者が、まるで壊れ物を扱うかのように断片を集めていった。
最初は省略の多いアウトラインから、躊躇しながら少しづつ細部に踏み込んでいった。
前後しながら得られる断片を、全体に関係づけて、一貫した流れに私の中で繋げて行った。

率直で一貫した語りを、困難にしたのは、単に仕事が忙しく時間の余裕がなくなったということだけではなく、前2回と違った2つの理由がある。

一つは、絵里と小野寺の間の精神的な触れ合いの部分に絵里自身が言及しない限り話が進まないことであった。
時には絵里が小野寺に魅かれているという解釈につながる事象をも明かにしないと話が成り立たなかった。
これは絵里自身にとっても簡単ではなかったろう。
しかし、約束した以上、絵里はそれをやり切った。

もう一つは、絵里が話を進めていくまさにその間、絵里と小野寺の間に現実の接触があったことである。
絵里が、小野寺との精神的な関係を含む部分について語っている期間、夜の語りその翌日に小野寺と会い、またその晩に話を続けなければならないという状況が生じてきた。
あの夜のことを語ると同時に、前日のことにも話さなければいけない状況が生まれた。
絵里の話は、過去に閉じられたものでなく、小野寺との現在との接触にも影響されないわけにはいかなくなった。
そのことが絵里にとって語ることを困難にした。
もちろんそれを聴く私の立場も複雑なものになった。
4月の上旬から半ば過ぎまでの絵里の語りは、3月の春分の日の連休の24時間の出来事にとどまらず、現実と交錯しながら進んで行かざるを得なかった。

4月の最初の週末、日曜日の夜、そろそろ居間から寝室へ引き上げようというころ、絵里がそうした現実の存在を伝える話を切り出した。

「話しておかないといけないことがあるの」

「ん?」

「来週、小野寺さんに食事誘われてるのね。」

「え?」

「どこで?」

「こっちよ、東京。場所はまだはっきりとは決まってはいないけど、だいたい銀座かそのへん。」

「来週のいつ?」

「木曜日。来週っていうか今週っていうか、つまり今度の木曜」

「もう決まってるの。どういうこと?」

「誤解しないでね、こういうことなの…」

木曜日に、小野寺が社の人とやってきてプロジェクトの大きな初顔合せがある。
プロジェクトマネージャはこれまで小野寺と懇意に話したことがない。
そこで、挨拶がてら会議のあと一席設けるよう、絵里に依頼した。
だいたいそのような内容だった。

「こっちは、マネージャと私と、私の下の今度の仕事で下についてくれている男の子が一人。向こうは小野寺さんと、前から担当者の女性かな。全部で5人。」

「どうして、ぼくに言うの。」

「だって、言わないと悪いと思ったから…。言わなかったほうがよかった?」

「いや、できれば言ってくれたほうがいい。」

「そう言ってたよね。だから。」

「あのさ、絵里、1月にこの話をしたとき、プレイの提案になるまでに何度か小野寺と二人で会ったという話したよね。あれから向こうで会う以外に、こっちで小野寺とそんなふうに食事に行ったり、飲みに行ったことってあるの ?」

「もちろんないわ。二人でも何人でも。今度初めて。だからこうして言っるの。」

「昼間会社で会ったことは?」

「あ、それはある。」

「え?」

「だって、月2回くらい東京に来てるって言ったじゃない。」

絵里が最初に言っていたことからすれば、それは当然からもしれないが、プレイのことに気をとられて、そこの部分は盲点になっていた。

「じゃ、ずっと月2回会ってるってこと。」

「そうじゃないわ。」

「…」

「あちらは、こっちの仕事だけじゃなくて、他の仕事でも来てるし。特に官庁関係が多いみたい。だからうちには顔を見せないこともある。日帰りのときもあるし。」

小野寺はオフィス環境整備の会社の社長であると同時に、同族で運営する公益法人の理事でもあるわけだが、むしろ後者のほうの関係で官庁との接触のための上京することが多いと、絵里は説明した。

「会うって言ったって、何人かの打ち合せの席か、必ずしも私が同席しない話の場に、最初か最後に私は挨拶に行くとか、そんな感じよ、だいたい。」

「そんなのでも、最近仕事で会ったのは?」

「3月の初めかな。上の人ほうの人と会いに来たときに、私が初めのほうだけ形式的に同席する形で…。」

絵里と小野寺が交した契約書には附則の部分に、プレイ以外のときの仕事上の接触で二人の関係が他人に気づかれないように配慮するように、という項目があったのを思い出した。
何度も繰返し読んだの契約書の文章はほとんど一字一句頭に入っている。

「プレイ日拘束時間外に、職業上の理由などで甲と乙が面会するとき、両者の親密さを第三者に想起させるような態度をとったり、相手にとらせるよう要求してはならない。」

逆にこの項目のことを考えると、二人の男女がお互いの胸に秘密を抱えたままビジネスの場に何食わぬ顔で同席していることの淫靡さがより強く感じられた。
その時二人の間には共犯者という繋りが生じているはずだ。
3月初めというと、プレイがあった翌週、二人は仕事の場でそのような形で同席していたことになる。

そして木曜に設定されているという食事の席…。

食事という場所になると、いくらビジネスの場とはいえ、また二人の間にどのような空気が流れるのだろうか。
それはプレイの前の二人の食事の体験を想起させるはずだ。
その時の絵里の胸中、二人の間でそっと交されるかもしれない視線、二人の間で無言の間に交されるであろう想念、そうしたものを想像するとこちらの胸のほうが締めつけられる思いだった。

小野寺との仕事上の接触が増えていくことは明らかであった。
そのことの大きさや、意味づけが私には未知であった。
私が最初に思ったよりも、やっかいな事態を相手にしていることが次第にはっきりしてきた。

絵里の語りがなかなか進まないことで3月のプレイの時に何があったのかということについての不安がもともとあった。
それに加え、それにからみつき錯綜する現実のほうへの懸念も私の中で次第に大きくなっていった。