103. 助手席

投稿者: ゆきお

春分の日の休日を利用したプレイのために絵里がA市に赴いたとき、空港にはいつものように小野寺が出迎えていた。
最初の2回と違い、迎えも自分で車を運転して来てきていた。
絵里は当然の助手席に乗ることになる。
今までも、帰りには小野寺の運転する車の助手席で送られたことはあったが、これからプレイへ向かうと分かっている車の中では、それよりずっと落ち着かない気がしたと、そのときの印象を尋ねた私の質問に絵里は答えて言った。

絵里はもともと誰かの助手席に乗ることを好まない。運転したほうがいいという。
私たちは車を持たないが、絵里の実家の家族と車で移動するときも、父親に代って絵里は運転したがる。

特に男性と二人で車に乗るとき、助手席に乗るのは落ち着かないという。
私は免許を持たないので、旅行でレンタカーを借りて長距離を移動するようなとき運転は絵里まかせとなる。
絵里はまたそうした旅行を好んだ。
そうした過去の機会に、長時間の運転で疲れた様子の絵里に、代われなくて済まないというと、確かに疲れないことはないけど、結局運転してもらうよりストレスが溜まらない、私が運転する人でなくてよかったと言った。

「おおげさかもしれないけど、誰かに自分の運命を預けているという感じが好きになれないのよ。特に二人でいるとき。万が一事故に遭うとするでしょう。そんなときに、どうせなら人に任せてなるよりも、自分の責任でなりたいと思うの。特に私の選んだ人でもない運転席の男性といるとき、この人のせいで、一緒に死ぬのは御免だわって。」

自分の運命の舵を人にとらせたくないという絵里の基本的な態度がそこに象徴的に表れていた。
だから、後に絵里が小野寺の車の助手席で移動するのが常態になったときに、その言葉を思い出すと、少くとも小野寺を相手にしては彼女の、おおげさに言えば人生観が変ったのだという感慨を抱いた。

車の中で触れられることはないのかという質問をした。
これは前々から訊きたかったことである。
膝や腿の上に置かれ、スカートの中に潜りこむ手や、車のシートで交される口づけのイメージは、それが後部座席であろうと、助手席と運転席であろうと、小野寺と車で移動している絵里のことを考えるときに、繰返しついてくる妄想だった。
特に運転しない私にとっては助手席と運転席の関係は一種のコンプレックスに結びつくようになっていた。

絵里は、それはないと、あっさりと否定した。
「契約書の附則から言えば、灰色ゾーンかな。親密な仲の男女の常識的行為と考えればある程度は許容範囲かな。でもそれはなかった。」
「外で二人きりのときは、思ったより紳士なのよ。」と付け加えた。
「そういえばこの解釈について議論したことはない…。」
絵里は何か考えこむように言う。

「契約書の解釈で議論したりするの?」
「あれでも細かいことろは曖昧なところがあるからそういう部分はね。解釈でその部分をどうするかは、私にとっても大事だったりするから。」

絵里の話ぶりから後になるほどだんだん分ってくるが、絵里と小野寺の間で契約書の解釈をめぐる議論は一種の知的な戯れのようなものになっているようだった。
そしてこの回のプレイではそこに触れる部分が多かったようだ。
そこには気心の知れたビジネスパートナーが契約書の解釈を巡ってジャブの飛し合いをして親交を深めるのに似た気配があった。
もともとはっきりと線引きをし議論の余地をなくすために作られた契約書から、線引きの攻防によって人間関係を深める議論が展開されていると見えた。

知的にも私の入り込めない領域が確立されて来ているのを感じた。

車の中で、身体の接触によってではなく、知的な戯れの言葉によって表現される男女の親密さ。
そのイメージがはっきりと浮びあがってきた。
そして、後者のイメージは前者のイメージを決して払拭はしなかった。
むしろ、前者にいつか後者が足され、その親密さは揺ぎないものになるだろうという想像だけがいやましに喚起された。

空港から市内まで車で一時間あまりかかる。
一度ドライブインに寄りコーヒー飲み軽食をとったのでそれよりまた少し時間がかかったという。
休憩の後のドライブの間、絵里は私の頼んだ「例の件」、撮影の話を手短かに切り出した。