109. 留学歴

投稿者: ゆきお

プロフィールに書かれた学歴の次の項目が、さらに、私が描いていた最初の像をゆさぶった。

大学の学部卒業の後にアメリカに3年間留学していることが記されていた。
二つの大学の名前が書いてある。
最初の大学は語学留学的な目的でのものと見えた。
一方、二つ目のは、いわゆるディプロムミルのようなところではなく、れっきとした中堅どころの大学で、その経営学部に学んでいる。

日本の経済が絶好調のときにはよくあったケースだから、この世代でビジネスの一線で活躍している人間の学歴としては、意外というより、むしろ一つの典型といえる。
ただ、私が小野寺という人間をまったく別のイメージで捉えていただけの話だ。

しかし、留学とのみ書いてあってMBAの学位を取得と書いていないところを見ると、最後までその課程をまっとうしていないのだろう。
成績がおいつかずに退学になったのか、それともなんらかの事情で全部単位をとらずに帰国したのか。

あれやこれや年間一千万円は費用がかかる筈のアメリカのMBAコースへの留学では、企業からの派遣か、キャリア転換のための背水の陣で私費留学した人間にとっては、ディプロマは死活問題である。
MBAの資格がとれないことは、その時点でその人間の順調なキャリアの終焉を意味し、生涯収支の大赤字となる。
華々しい面だけが喧伝されるMBA留学だが、そうした中で、精神的問題や予期せぬ私的な事情で挫折する人間もいて、そういう人は普通その挫折の留学の事実をあまり公にしたがらない。

一方、中にはお金があって、箔付けのためと軽い気持で行く者もいて、そういう人間にやはりどこか甘い気分あるのか、ディプロマを取らず戻ってくることがややもすればある。
そして、そういう人に限って、それでもその事実を留学歴という形で、自分の公の経歴のアクセサリーに使おうとする。
私も身の回りでその例は知っている。
いかにも、経営者の二世らしいパターンだと思った。

この推測は後で訂正しなければいけなくなるが、少なくともこの時点では私の中では、自然で合理的な解釈だった。

それにしても、小野寺がアメリカの大学で三年間勉強したという事実は、私のコンプレックスを刺激する部分があった。

私は外国の大学で学んだことはおろか、外国に住んだこともない。
学生時代に、イギリスを含むヨーロッパへの貧乏旅行で3週間弱いたのが最長の外国経験だ。

昔とは違うから、私のような人間でも、口頭の能力がひどいかというとそれほどでもなく、それなりにCNNのニュースくらいはだいたいは聞きとれたり、日常会話プラスくらいの会話能力はあるが、所詮日本の大学だけで英語を学んだだけでそれ以上のものではない。

口語特有の表現が多く、速いやりとりのある現代アメリカ映画を字幕なしでちゃんと理解するのは不可能だし、ネイティヴの英語話者の会話に、緊張もせずに、また彼らの自然なスピードで入っていくことはできない。
その点、高校のときにホームステイの経験があり、私が博士論文を書いている間に、就職してから語学学校の会話クラスに通ったこともある絵里のほうが、ずっと自然に臆せずに話す。
結婚してから二人で旅行したときや、英米人のいるパーティーに絵里と一緒に行った際にそれは嫌というほど思い知らされた。

これらのことは、英語の翻訳に携わる者として、当然のようにコンプレックスの原因となる。
が、その部分を今さら嘆いてもしょうがないので、もうできるだけ意識しないようにしていた。
絵里も、私よりあなたの英語のほうがゆっくりだけど語彙も文法もしっかりしていてずっと知的だと言ってくれ、そのコンプレックスと対峙しないでこれまで済んできた。

しかしそれが、よりによって小野寺という相手に、その経歴を見たとたん疼くように蘇えってきた。

彼がMBAでも取得していれば、相当のコンプレックスに打ちのめされていただろう。
彼がディプロマをとっていないということを意地悪な気持とともに安堵の材料とした。
そして自分のその心の動きに気づくと、その姑息さに我ながらまたいっそう面白くない気持になった。

プロフィールの趣味の欄に

「ダイビングと美術鑑賞」

とあった。

その日焼けした顔から、ダイビングに興じる姿が思い浮かんだ。
写真に写っている背広とネクタイの上半身に、海岸で日焼けした肉体がとってかわり、その顔とよりよくマッチした。
その体が絵里に挑みかかる生々しい妄想をどうにか消そうとした。

ダイビングという趣味に付け足したような、「美術鑑賞」は滑稽に見えた。
趣味の欄に、読書や音楽鑑賞、美術鑑賞などと入れる人間は、自分のプロフィールに知的な趣を添えようとして結局その部分での空虚さ露にしているにすぎないことが多い。

思いがけなく見つけた小野寺のプロフィールから、あれこれそんな憶測を巡らして午後のひとときを過した月曜、帰宅した絵里に夕食後、ホームページと小野寺のプロフィールの話を切り出すと、絵里も知っているなりのことを話してくれ、そこでまた私の描いていた像にはない、意外な彼の一面を見ることになった。