130. 「レッジセーノ」

投稿者: ゆきお

タグのことに気づかないふりをしてブラとショーツを着た。
小野寺も黙っていた。

この話を聞いたとき独特な嫉妬心が胸を灼いた。
二人の間を暗黙のコニュニケーションが支配するようにになるさまを見たような気がしたのである。

絵里にしてはたわいもないエピソードとして「ついで」に話すという調子だったが、私には何か濃密な共犯関係の成立を想起させるものであった。

実は、このあたりから絵里の話す姿勢と私の反応との微妙なずれがだんだんとはっきりしていった。
知りたいが結局言葉少なく抽象的にしか話されない部分があったり、言葉を積み重ねても結局核心が掴めない話があったり、絵里が気を遣って話しにくそうにしながら話す部分が私にとってはそれほどでもなかったり、何でもない小さなこととして話す部分が心にひっかかったり…そんなこんなで、だんだんとちぐはぐになってきた。

フェラチオの事実やその具体的な描写はさすがに絵里も話しづらかったようだったが、特異なシチュエーションだったこと以外は、最後に口内に発射されたことも含めて、私にとって想定内であり、それほど大きなショックは受けなかった。
むしろ私の心に引っ掻き傷を作ったのは、フェラチオの後のキスの件や、私の言葉をそのまま小野寺に伝えて対処法を相談した件、このタグの件などである。
そしてその種のディテールがこの後も増えてくることとなった。

バスローブを羽織ったままショーツを穿き、上半身裸になって鏡に向かいブラをつけた。
鏡の中で自分の姿に遮られて見えない小野寺の背後からの視線を強く感じていた。

ブラはこれ以上ないといっていいくらいぴったりのサイズだった。
サイズを全部とられたこと、それによってボンデージベルトや革のブラもぴったりだったことを思い出すと、不思議はないと思った

ブラは、ストラップがかなり両脇にあってぐっと乳房を持ち上げる感じが強いが、きついという感じはなく、むしろ不思議な解放感がある。

「ちょっとこちらに回ってもらえます?」
言われるままにショーツとブラのまま小野寺のほうを向いた。

「きれいな形です。絵里さんの胸はブラはなくても綺麗だけど、これだとまた別の美しさがある。」

「…」

「どうです?着た感じは?」

「持ち上げるんですね。」

「イタリア語でブラジャーのことを何て言うか分かります?絵里さん」

「いえ…。」

「レッジセーノ、乳房を支えてやるもの、持ち上げてやるものという意味です。セーノが乳房、レッジなんとかと、いうのがそれを支えてやるものということです。」

「知りませんでした。」

「隠したり包んだりするものではない。だからイタリアの下着はいいんです。特に胸に関するものは。」

「よく知ってらっしゃるんですね。」

「受け売りです。」

そう言われて乳房を持ち上げられているという意識、それにともなう羞恥心が強くなったと、絵里は言う。

英語で「アップリフトブラ」というタイプのものがあるのは私も知っている。
文字通り「持ち上げるブラ」ということだ。
しかし、イタリア語で語源的にもともとブラジャーの定義がそのようなものであることは私も知らななかった。
絵里のこの話を聞い後に自分で手持ちの辞書で確かめてみたが、小野寺の言う通りだった。
イタリア語は大学で習わなかったが、英語の文献だけでも歴史や文化に関るものをやっていると、ヨーロッパの主要言語には少なくとも単語レベルではひととおり触れることになる。
そのために辞書も常備してある。
翻訳を生業とするものとして、語源的なものには興味があり、こうした語源談義は私も絵里とのあいだよくやるものだ。
そうしたわけでこの会話は、お株をとられた思いがした。

「ああ、そうそう、レッジなんとかといえば、レッジカルツェっていうのがそこにあります。靴下、カルツェを持ち上げるもの、つまりガーターベルトです。これも試してみます?」

存在は意識していたが、無視しようと思っていたものに注意が向けられた。
一瞬迷ったがこれ以上引き込まれたくなかった。

「外出するのはちょっと…。」
強要されたら、契約の条項の解釈に持ち込もうと身構えた。

「残念だけど、まあ、お好きなように。後から着て見せてもらいますから。」
拍子抜けすると同時に、後からどうせ自分の思い通りになるから焦っていないというような、その余裕のある返事にむっときた。