132. 「大人の隠れ家」

投稿者: ゆきお

初めての客だとやや入りづらいような、黒く重い扉を、躊躇なく開けた小野寺の後について入った。
カウンターと、ソファ席のある酒場というのがすぐ見てとれた。
カウンターにいた40代後半くらいとおぼしきママらしい女性が小野寺の顔を見るとにこやかにあいさつした。
そうした店のママと客の社交辞令が交わされる。
親しげな口調からするとずいぶん馴染の店らしかった。
絵里の顔をみるとにこやかに会釈した。

カウンターの中には若い女性がもう一人いて、小野寺と絵里に会釈した。
客は、カウンターに40代のカップルの客が二組いただけだったが、別にこちらを振り向くこともなく静かに飲んでいた。

小野寺は、カウンターのママに指示されると、最初から決めていたように、店の一番奥のソファ席に座った。

どんな雰囲気の店かrという質問に、絵里は、店内は黒っぽいガラスと金属のインテリアを基本にまとめられていて、クラブというにはこじんまりしていて地味で、昔ふうのスナックと言うにしてはちょっと90年代風に小綺麗だが、カフェバーというにしてはやや個人経営風の感じがし、バーというほどには涸れた感じはないところだったと説明した。

ボサノバ風のジャズがゆったりと流れていた。

若い女性がワインのボトルとグラス、そして突き出しと見える小さな皿を運んできた。

「よくいらっしゃるんですか?」
女性が去った後、小野寺に発した社交辞令的な質問に、ママが小学校の同級生だと小野寺が説明した。
親しさの訳がわかった。

これはその夜だけでなく、後日絵里が聞いた話をも総合した情報だが、その店はもともと社用族相手の小さなクラブだったという。
景気が悪くなってその手の客が減ったあと、普通のサラリーマン相手に、ウイスキーの安いボトルキープや焼酎だの、カラオケだのというサービスのスナックに切り替えてみたものの、そんな無粋な客相手の商売に嫌気がさしたママが、5、6年前に方針を変え、新装開店してメニューをワインバー風にし、客層転換の営業努力をしたところで、大人のカップルが飲みに来るような落ち着いた雰囲気の店になって、それ以来安定しているという。
それに加え、朝までやっているので、午前をしばらく回ったあたりから、飲食業など水商売の人が客としてやってくるという。
特にそうした勤めの女性が仕事がはねたあと、場合によっては飲み直しにお客と来たり、出勤前も同伴で来たりするのは、やはりお店の前身の雰囲気やママの人脈によるものだろうと、小野寺は説明した。

お店自体は、クラブやスナック時代には数名の女性を雇っていたが今は手伝いの女性一人で十分だという。
にもかかわらず、その夜だけでなくその後に訪れた際も、女性が男性客を接待している店独特の雰囲気がふと漂ってくるのは、そんな過去から来るのかもしれないと絵里は後に説明した。

そうした詳しい説明は後のことになるが、その夜は、「いいワインがおいてあって、なかなか一見の客は来なくて、落ち着いた雰囲気のいい店で、大人のカップルがゆっくりと仕事や家庭を離れて飲みにこれる場所」とだけ、小野寺は説明した。

「いわゆる『大人の隠れ家』みたいなとこだな。」と絵里に言うと、「まあ、そんなところ。」と頷いた。
自分のその言葉が出たあと、そういうより「不倫カップルの隠れ家かな?」というコメントが思い浮かんだが飲み込んだ。
しかし、遠からぬ形容だろう。