138. シンデレラ

投稿者: ゆきお

ホテルの部屋に戻ると、PCを開きすぐにメールに取りかかった。

一気に書いたという。

私としては、どんな風なふうな思いで書き綴ったのか知りたかったが、絵里は、とにかく早く返事しなければと思って、立ち止まる余裕もなく急いだというだけだった。
私のために早くというのは一つのレトリックだが、結局は、書くべき事がもう予め小野寺との間で決まっていたので、それを一挙に吐き出すようにしてできた事だと思った。

絵里は文書を作成する事務能力に長けている。
まとめるのも、物理的にタイプするのもどちらも驚異的に速い。
リビングに二人でいる時に、緊急の仕事が入ってきて、どうしてもその場で対応しなければならないような時、私に断ると、ものすごい速度でわき目もふらず一気に返事を打ち、さっさと片付けてしまうということがしばしばあった。

その調子で打てば私へのあのメールも5分やそこらで打てたのだろう。
絵里のそうした時の様子を思い浮かべながら思った。
そして、リビングでぱたんとPCの蓋を閉じると、完全に気持ちを切り替えて、何事もなかったように私との会話を続ける様子も思い出された。

そんな想像をすると、メールを書いた時彼女の気持ちや、その後の心の動きをもう少し聞き出したいと思った。
が、やはり、絵里が気に病んでいたその先に起こったことのほうが気になる。
語るほうも、いったん心をもうそれに向けて決めたらしく、もう寄り道の話はするより、出来事を語ることに気がせく様子だった。

——–

メールが終わったので、ホテルにとどまる事もなく、さっさとバーに戻ろうと思った。
ただし、持っていかなければならない荷物がある。

バーを出る前、小野寺と二人になった時に、中座するのはいいがこのままビシネスホテルには戻らずにプレイのホテルへ直行するので、昼間買った「コスチューム」を持って来るようにと言われていた。

ブラとショーツはもう着用しているので、ストッキングとガーターベルト、そしてワンピースと靴がある。
それとアクセサリー。

デパートのブティックの袋にまとめ、持って行こうと思ったが、靴の箱が意外にかさばる。
靴を箱から出して包装紙で包んで入れて行けばいいと思って手に取った時、ふと、いっそのことその靴を履いていったらというアイディアが浮かんだ。

荷物がずいぶん軽くなる。
そう思って、パンプスを脱ぎ、靴を履き替えた。

めったに履かない9センチの高さの、シャープでスタイリッシュなハイヒールに最初、足元がおぼつかない感じがした
部屋の中を少し行ったり来たりして、履きならして、大丈夫だろうと思った。

鏡を見た。

先ほどまでベージュのパンプスとマッチしていたマーメイドスカートとジャケットが、急に野暮ったいものに見えた。

迷った。

よくないアイディアだと思った。
あれこれ考えた。

しかし、何かに誘われたように、紙袋のワンピースに手が伸びた。

「どうかしてたの私。」

クローゼットに吊るしてあったのを先ほど一旦袋に入れた時には考えもしなかったという。

「でも靴が悪いのよ。」

「脱いでしまったパンプスに何だかどうしても戻る気がしなくなったの。」

「そして、最初に着ていたスカートとジャケットのスタイルにも。」

「そう。どうにかしてた、私。靴さえ脱げれば良かったのに。」

着たままになっていたジャケットを脱ぎ、ブラウスを脱いだ。
スカートを足元から外してベッドの上に置いた。

数センチの高さの差なのに、イタリア製のランジェリーに包まれた自分の身体がスマートに見えた。

ワンピースを着た。

試着したときに気になったデコルテの部分が、ブラを変えただけで、綺麗に露出しながら盛り上がっているのが感じられた。

長いチェーンのアクセサリーを着け、自分の全身を見た。
先ほどの買い物の時には、靴まで一緒にトータルには自分の姿を見ていない。
スタイリストに誂えてもらったような綺麗なマッチングだった、

紙袋の中に、ストッキングとガーターベルトだけが残っていた。

それに気づくと、胸が妖しく高鳴った。
息苦しくいばかりの迷いがあった。

「ごめんなさい。私、どうかしてたの。」
この話の間、絵里は何度この言葉を発しただろうか。

そう言いながら絵里は一応いくつかの理由を述べた。

今さらこれだけ別に持って行ってもしょうがないと思ったという。
そして、先ほどワンピースを着る前に鏡で見た、モーブのレースなエレガントなブラにあうショーツとお腹を覆う、黒のバンストがとてつもなく野暮のものに感じられたこともあったという。
元々それほどの考えなしに予備用も含めまとめ買いした実用的なパンストのお腹のあたりのゴムバンドや縫い目の部分が醜悪なものにさえ感じられたという絵里のその感覚は私の想像の中でも納得がいく。
野暮ったいだけでなく、むしろそのアンバランスが卑猥だとも言った。
プレイになってもしかしてその場でワンピースを脱がされたときの自分の姿を想像すると、この下着に野暮ったいパンストのほうが何か生活臭があって淫靡に見えると思った、という。
いっそのことマッチングのガーターベルトのほうがすっきりすると思った…。

絵里のそれぞれの説明は納得のいくものではあった。
しかし、個々の断片的な理由が、真の本質に届かない気は拭えなかった。

それにしても、絵里のガーターベルト姿を私はこれまで見たことない。
所有してもいないはずだ。

「絵里って、ガーターベルトってしたことってあったっけ。持ってないよね。」

「持ってない。試したことは一度だけあるわ。」

「え、いつ?」
どきりとしながら訊いた。

「さなえが結婚する直前に、彼女の家で女子会したとき、彼女の持っているのをみんなでわあわあいいながら、試したの。」

共通の友人の一人の名前を挙げて言った。
ほっとしながら、彼女や、私もすぐに顔の浮ぶその友人たちの、女だけの秘密の花園での、それぞれのガーターベルト姿が勝手に想像された。
しかし、絵里の状況は、そのときとはまたまったく違ったものだ。

ワンピースを脱いだ。

いったん靴を脱ぎ、パンストを脱いだ。
ガーターベルトの着かたは知っている。
ショーツを下ろすと、ガーターベルトのウェスト回りを締めた。
裸足にストラップがぶらぶらしているのが間抜けて見える。

ベッドに座り、ストッキングを穿いた。
腿を締め付ける部分のない、シルクの柔らかなストッキング。
単体ではすぐにずり落ちてしまう。
ガーターベルトが必須のものだということが実感された。
いつも穿いているパンストやストッキングとは感触からして別ものだ。
いったん立ち、不安定なストッキングを支えながら、2箇所づつのクリップの位置を調節して嵌めた。
柔らかに脚を包むストッキングが吊られている感じは独特だ。
「レッジカルツェ、ストッキングを支えるもの」と先程聞いた言葉が頭に浮かぶ。

ショーツを穿き、靴を穿いた。

目の前の鏡の中の自分の姿を見た。
絵に描いたような典型的な姿だった。
薄紫のレースのブラにショーツ、そしてガーターベルト。
高いヒール。
腿のところで吊られた黒いシルクのストッキング。
ワンピースを脱いだときにいっしょに取らなかった長いチェーンのアクセサリーが、ランジェリー姿の胸元から垂れているのが、さらにアクセントを与えていた。

グラビアのようだった。

絵里は自分を見たときの気持をそんなふうに表現したが、もうすぐ小野寺の前でその姿になる自分を意識したのではないかと思った。
あえて質問しなかった。
プレイになったときにパンスト姿で見られるのが嫌だったという言葉で、その意識は雄弁に表われていた。

急いでワンピースを着た。

えみから渡されていたタクシー会社のカードの番号に電話し、同時に渡されたていたお店のカードにある住所を告げた。

すぐに配車されるということだった。

バスルームで急いで化粧を直した。

コートを羽織り、ハンドバックだけを持って、部屋の外に踏み出した。

——–

ガーターベルトの件について、最初絵里は、「着ちゃったの。」という一言で手短に通り過ぎようとした。
私が、そのときの気持を語るように水を向けると、そのときの感触について細かく語り出した。
やはり彼女の心の中に強い印象を残していた。

「靴、いったん脱いだのに、魔法は解けなかったんだね。」

「その下着だもの。」

「足だけでなく、絵里の気持に吸いついちゃったんだね。」

「…」

黒い靴はシンデレラの靴だったのだと思った。
しかし少なくとも赤い靴ではないはずだった。