139. 女子トーク

投稿者: ゆきお

お店に戻るタクシーに乗ると、これでよかったのだろうかと何度も自問した、と絵里は言った。

特に出て行ったときと、戻ってきたときの服が違うことを、店のママやえみ、ばあいによってはそこにいた客に気づかれることについて気になった。

しかし、そのことについて、すでにホテルでワンピースに着替えるときに頭を巡った別の考えもあった。

小野寺はいずれにしても「コスチューム」、今自分が身につけている衣服や靴を持ってくることを要求していた。
そしてそのためにデパートのブランドものの大きな紙袋や、ランジェリー店の紙袋を持って店に入れば、別の好奇心を呼ぶだろうと思った。
特に、それが小野寺によって買い与えられたということを見破られるような気さえした。
えみは、肝心なプライバシーについて立ち入らない如才なさを持ってはいる。
しかし、明らかに衣服を買ってきたと見えるブランドものの紙袋について、女性どうし話題にならないことはありえない。
そして、そんな荷物を、ざわざそんな時間にホテルの部屋からお店に持っていくほうが、着替えてくるよりも、何かの憶測を呼ぶ、はるかに不自然な行為と思われた。
それらの考えの筋道を何度も繰り返すうちに、着替えてきた自分の決断はまったく正しく、自然なものだと自分に言い聞かせることができた。

絵里のその話を聴くと、確かにもっともだと思いそうになった。

しかし、「自分のキャリーとかそういうのに入れ換えればよかったんじゃないの?」
という私の質問に、絵里は、「あぁ…そういうやりかたもあったのね。あまり考えなかったわ。」とあまり気乗りしない調子で答えた。
「そうね、でも…。」と言ったきりだまった絵里に、「そうだね、せっかくホテルに荷物入れて落ち着いて、お店で食事して飲んでいるのに、また旅行の移動モードになるのもやだね。」とフォローしたのは私だった。
絵里は微笑みながら黙って頷いた。

タクシーからおりてお店のドアを押すのは少しは勇気がいったが、タクシーの中での自問するうちにはっきりした議論道筋によって、これでよかっただろうかという迷いは消えていた。

お店に入るとママと顔があった。
にこやかに笑う彼女の顔が、いっそうぱっと輝いた。
明らかに服が変ったことにたいする反応だった。
しかし、また奥に促す言葉以外には、特にそれについて何もコメントはなかった。

自分の意思で着替えてきたことについて小野寺がどんな反応を示すだろうかと気にしながら、お店の奥のソファ席に戻ると、意外なことに小野寺はいなかった。
拍子抜けした。

自分の元いた席に一人で座ったが、しばらくたっても小野寺は戻ってこず、お手洗いにたっている気配ではないようだった。
それに、先ほどまで隣にいた小野寺の目の前のグラスは、飲み差しのものではなく新しいものだった。
携帯をチェックしたが連絡は入っていない。

時間にした5分もたっていなかったろうが、一人に残された状態に訳もなく不安を覚えてきたところに、えみが戻ってきた。

「ごめんなさい。小野寺さんから、ちょっと外すから待ってもらっている間にお相手するようにって言われたたんだけど、ちょっと他のお客さんにつかまっちゃってて。」
「それで小野寺さんは?」
「小野寺さん、絵里さんが出たすぐ後に、事務所で急な用件が一つあって行かないといけないから外すけど、すぐ戻ってくるって行ってタクシーを呼んで出てったわ。絵里さんより先に自分が戻っているかもしれないけど、もし戻ってなかったら相手してくれって。」
「そうなんですか。」
「私がお相手でもいいですか、絵里さん。お邪魔じゃなかったら」
「えみさんがさえお忙しくなかったらもちろんです。お気をつかってもらってすみません。」

最初「浅田さん」と紹介されたが、先程の三人での会話のときから「絵里さん」とひとなつっこい調子で話しかけるえみとの話は、一人の落ち着かない気持をすぐに柔らげてくれた。

「このワンピース素敵!」
「ありがとうございます。」
「××でしょ、私あこがれ。東京って一つのブランドでもいろいろ選べていいですね。ここだと何もなくて…、銀座とかなんでしょうね、やっぱり、こうういうのは…」
「いえ、これはこちらで昼間に、○○で…」
「えぇ!そうなの!? さすがに絵里さんみたいにセンスのある人が見ると服のほうから見つけてくれるのね。」

やはり必然的に服の話になった。

紙袋を持って入らなかったおかげで、結局買い物の件はさとられなかったはずなのに、話の流れがそんなふうになると、隠し立てするのも不自然なようで、正直に言ってしまった。
もしかして小野寺が来たときにまた話題になるかもしれないから、妙に矛盾した話をすると余計勘ぐられれるという気持もあった。

「先ほどのスーツもお仕事してる方っていう感じ素敵だったけど、今のワンピースまたぜんぜん大人の雰囲気満点で、あこがれちゃいます。」

あたりまえだが、同性からファッションセンスを褒められて悪い気はしない。
しかし「センスがある」と言われても、その選択眼は自分でなく小野寺のものだということを思い出すと、内心苦笑するしかなかった。
ただ、ワンピースやアクセサリーについて話しをしている間、えみが小野寺のことにまったく触れずに、まるで絵里一人の買い物だったように話を扱ってくれたのは、内心ほっとした。
ほっとした同時に、すべてを見透しながら、あたり前のこととして何も触れないのではないかという気もして落ち着かない気持もあった。

「それより、えみちゃんこそ…、私より若いのに、私よりずっと大人の魅力のワンピースで…」

先ほどの三人の会話の続きで自然に「えみちゃん」とこちらは呼ぶようになっていた。
そして、典型的な女性二人のファッショントークになっていった。

こうやってファッションや美容の話あれこれで、くだけた女子トークをするのは久々だと思った。
久々というより新鮮だった。

職場にいると若い女性とそういう話をしないでもないが、立場や年齢の上下から、やはりある程度の緊張感があって、そうそう気安くなれない。
二十代の女性が自分の年齢の女性に対し持つ、容色の衰えについてのいじわるな観察と、ブランド物を買う経済力に対する嫉妬心がないまぜになったような気持を、言葉の裏に感じることもある。
同年代の気の置けない女性の友人たちとの会話は、これはこれで、自分に縁のない子育ての話や、美容やファションの話をしても肌の衰えや体型維持の話に傾きがちで、結局、手放しで楽しい話題としては、旅行や食に向かうことが多い。

えみとの会話が弾むにつれ、普段の仕事のしがらみから離れて、おしゃれを楽しむ女性として若返った気持になり、そして心が華やいでいった。
小野寺とのある種のかけひき、大事なメールを書くという行為で最大限に緊張していた心がほぐれ、えみといっしょに他愛もない話で笑うようになってきた。

ふと耳を澄ませると、お店の向こう側からも、男女の会話の中で、華やかな女性の笑い声や、嬌声とまではいかないにしてもピッチの高い楽しそうな声が聞こえてくる。

小野寺の不在を頭の隅で気にしながらも、妙に心が落ち着き、店の雰囲気にすっぽりと溶け込んでいく気持がした。