148. 影(絵)

投稿者: ゆきお

結局、その席での絵里と小野寺の様子まで踏み込んで訊ねることもなく、その手前のいろいろなことからくる想像力だけで心理的に消耗し、当日あったことの話題はそんなところで打ち切られた。

むしろそれをきっかけに、あちらでのワンバーでの話や、ハイヤーでホテルへ向かった二人についての話題に私の質問が向くことになるのだが、そこで話が紡ぎ出されるたびに、やはり東京でのその日の絵里、そして小野寺の姿についての想像が何度もフラッシュバックしてくるのだった。

そのことは、その日の絵里の行動について、私の想像力を様々なほうに向かわせた。

「そもそもタクシーだったのだろうか?」
「そのタクシーに絵里はほんとうに一人だったのだろうか?」
「そもそも5人で二次会のワインバーに行ったというのはほんとうなのだろうか。」
「いや、最初から二人で夜を過すというプランなら、そもそもビジネスでも会食するという話をするわけはないから、やはり絵里の話は全てほんとうのはずだ。」
「しかし成行上、二人でタクシーに乗るということはあり得るのではないか。」
「いや、もう向こうももう一人社員がいたというし…。」
「タクシーから帰りを知らせるメールをしてこなかったのはやはり同乗者が…。」

想像力の堂々めぐりは時として自制力を越えようとさえした。

そして、その日から、絵里が、仕事で小野寺と会うと、律儀に私に教えてくれた日、特にそうした時に帰りがアフター・ファイヴから時間がたったとき、あるいは、小野寺の事にまったく触れずとも単に帰りが遅いときなど、そうした想像力が私の心に入り込み、力をふるうようになっていった。

その日、絵里がマンションの前まで帰ってきた車の音を、少し開けた窓から偶然聞いてしまったことを、私は絵里に話さなかった。
通りに面した窓を持つ部屋は私の仕事場だけで、夜の静寂の中でのそこに足を踏み入れることのない絵里は、恐らく、私が置かれたその条件を具体的には知らなかったろう。
私自身もそれまで特に意識することもなかった。
しかし、それがきっかけで、私は、相手にそのことを知られぬ不実な観察者としての地位を一つ得た。

妄想に蝕まれた私の心は、その小さな条件にしがみつき、そしてそれにより大きな可能性を与える方向へどうしようもなく向かった。
もし窓を開けてベランダから乗り出して見ていれば、それがタクシーだったか、もしかしたらタクシーに誰か別の人物が乗っていたかは、分かったかもしれないとさえも思いはじめた。

自分が仕事場として気に入ったロケーションが、その日を境に、自分の中の疑惑とともに、そしてしだいに実際に近づいてくる影とともに、自分の心を余計に苦しめる装置となった。
絵里がそのことに触れようが触れまいが、自分のいる場所に現われる男の影が少しづつ大きくなって行った。
絵里のプレイでの語りから得られるイメージの輻輳の中でその影は色濃くなった。

しかし、どこまでが実物の影で、どこまでが私が自らの手で生み出した影絵だったのか。
今にしても判然としない部分は多い。