163. 反応

投稿者: ゆきお

一人で過す4度めの土曜日は、前日までの陽気とうってかわり、朝からどんよりと曇り、4月の末にしては肌寒く陰鬱だった。

日曜の夕刻までのこの時間を、ルーチンとして慣れていこうと2回の時は思い、それができると一時は思いもした。
が、3回目での大きな変化は、ルーチンとして接することを不可能にし、私は一から、自分の気持ちを処理するしかたを作り直さなければいけなった。

今回は何が起きるのか。
その疑問には何か期待感のようなものも伴っていた。
そうした未知のものへの期待感は、絵里のほうにはもっと強くあるのではないか。
そうでないほうがむしろおかしいだろうと思った。

契約書の附則にあった「甲は乙に対し、プレイの内容をあらかじめ告知しない権利を有し、また、乙は甲に対し告知を要求してはならなない」という条項の深い心理的効果に改めて気づく。

絵里は仕方がないとしても、私もが、それに支配されてはまずいだろう。

が、絵里が行ったあと、仕事に集中でるまれな瞬間を除けば、どうしても絵里のことを考えないわけにはいかない。

それは仕方ないとしても、今の絵里や、これから彼女に起ることを想像するよりも、これまでのことを一人で反芻することに頭を向けようとした。

それで少しは救われる。
前回の経験から少しは学んだということだ。

木曜の晩の、酔いがずいぶん回ってからのあの無言の交合の夜が明けた昨朝、私がいつもより遅く起きたときには、絵里はすでにけろりとした様子で活動していた。
私の代りに朝食の仕度もしてあり、出勤の身支度もあらかた済ませていた。

本来ならいつもと変らないはずの週末。

定時に退社してきた絵里と夕べを楽しく過ごした。
二人だけの時間を大事にするように、土曜からのこについては、まるで普通の出張であるかのように、時間的なものなもを事務的に確認しただけで、お互いほとんど何も触れなかった。
「そのこと」が二人の話題の中心にならない日が久々に初めてやってきた。
たとえたった一日しか残されていなかっとしても。

私はこった前菜を準備し、子羊のローストを焼いた。

「わお!ごちこうじゃない」
「このところずっとお疲れさまだったし…」

反射的に頭に浮かんだ、「明日からももたいへんだから」という言葉を飲みこんだ。
それではまるで自分の女を差し出すために、わざわざ精をつけさせてやるようなものではないか。

言葉にしなかったその想念を彼女にも浮かんだだろうか。

「たいへんだったよね。4月。」

遠くを思い返すようにこくりとうなずく。

考えてみれば、四月から新しい職務となり、プロジェクトの責任を負い、それだけでさえ大変なはずだ。

そんな大変なときに、過ぎ去ったことについての困難な報告を求めたのは、彼女もそう約束したとはいえ、私の勝手だった。
それは二人にとって大きな心理的負担をもたらし、二人の時間を支配した。
結局、詳細な長い語りが私たちにらもたらしたらものは何なのか。
何も聞かず、何も語らず、いや、絵里がその気にって言える最小限のことだけで十分ではないか…。
絵里が日曜日に帰ってきたら、そんな気持ちで接してあげようと思った。

いいワインをあけた。
前の晩のように 飲みすぎないよう気をつけ、ゆっくりと飲んだ。

そして情熱的にセックスした。

木曜日の晩の、酔いと動物的な感情にまかせた交合とはうって変った、こまやかなコミュニケーションの支配するセックスだった。
長年のカップルが、なにかのきっかけで新鮮な情熱をみなぎらせて行なう熱く甘い交歓に酔った。

絵里は私の愛撫に積極的に応え、クンニンリングスに甘い声で乱れた。
絶頂に達すると、挿入の期待を高めるかのように、自分からフェラチオをはじめていった。
私に促されて、騎乗位で挿入すると、そこで腰を振りながらまもなく一度達っした。
射精しなかった私は、挿入したまま、正常位に体位をかえた。
腰を上げ足をからみつけてくるのは馴染んだ動作だ。
屈曲位でさらに深く挿入する。

「ああん、ああん」
「感じる、すごく。すごい、すごい」
「いっちゃいそう、あーん、すごいの、感じる、ねえ、いっちやいそう」
「ああん、そこいい、いいの」
「ねえ、きて、きて、もっときて」
「いく、いく、いく、いくの、ああん、あっ、あっ、あっ、あああ」

いつもの絵里にしては言葉での反応が激しかった。
普段とは何か違う…という疑念がちらりと頭を霞めたが、私とのセックスで覚えてきた語彙が総動員されただけで、何か新たに教え込まれたというようなところは感じられない。
これまでの二人のセックスが、いつになく増幅したようなものだと言ってよいものだ。

小野寺を相手に絵里は同じような反応を示すのだろうか。
その想像は、ちくりと胸を刺した。
それを打ち消そうとする努力は別の考えを生んだ。
その前の木曜の晩に、そして3回目のプレイから戻ってきた直後に見せた、声を殺した今までにない受動的な反応は、小野寺とのプレイによって植え付けられた反応であるのは疑いようがない。
そして、もしかして絵里はそちらのほうからもっと深い快楽を得ているのではないか。

そう思うと同時に、昨日の積極的な喜びに乱れた姿がむしろ、演技的なもの、AVのような皮相的なものにさえ見えるようになってきた。

演技というのは言いすぎだろうが、絵里が自分の興奮を高めようと積極的に反応していたのは間違いないだろう。
少くとも絵里の中で、反応を使い分けるという意識が働いていたのだろうとは思った。

そうした使い分けられた反応が生まれるにあたって、いちばんの支配力を及ぼしているのはだれなのか。
意思をもった絵里自身なのか、絵里にそうさせる私なのか、それとも新しい状況を生んだ小野寺なのか…。