172. 変奏の行く方 1

投稿者: ゆきお

意外なことに動画はそこで終りではなかった。

急に、今までなかった画調の映像に変った。
座っている女の上半身が見える。
着衣でソファに座る姿をやや斜め前から捉えている。
白いブラウスと紺のプリーツのスカートを着ている。
カメラとソファの間には丈の低いガラステーブルがあるが、膝上のスカートから出ている揃えた膝頭から延びる足の下半分しか隠していない。
そして、上は、ちょうど顔の下半分までしか写っていないが、もうすでに見覚えのある佳美に違いなかった。

テーブルの上のウィスキーとアイスペール、そして水差し。
ウイスキーのロックを作ったグラスを左側のカメラの視界の外にやるのが最初に捉えられた動作だった。
佳美の姿を斜めから捉えるカメラの正面に誰か座ったいるということになるが。小野寺だろうか。

佳美の前には赤い飲み物の入ったカクテルグラスがある。

「それでね…」

「で?」

会話がはじまった。
はじまったというより、そこで撮影と録音が始まったということだ。

内容は彼女が、女友達と最近ハワイに行ったときのことについてのようなものと、想像できた。

そして姿の見えない男のほうは、声を出すシチュエーションが違うが、先ほどのシーンで聞こえた小野寺のものであると言ってよいだろう。

小野寺のほうは基本的に聞き役に徹しているが、佳美の行った先々のことをよく知っているようで、上手に話を引き出し、冗談を言い、笑わせたりしている。

私はハワイには行ったことはないが、それをさておいても、聞き役になりながらユーモアをまじえ、女性との会話をそんなふうに成り立たせる、私の持ち合わせない余裕やスキルを男が持っていることをいやというほど感じた。

笑い声の混じるリラックスした会話のようすは、先の動画で見た短いやりとりとはまったく調子が違っていた。
これまで聞こえてきた短い断片的な会話には、命令する者と従う者の厳然とした上下関係と緊張関係が感じられた。
いわゆるSMの主従関係一般ということで私が想像するもののイメージのままだ。

今聴いている会話には、まったくそれが感じられない。
一種の馴々しささえある。
一般社会でもこのプロフィールの組み合せでふつうあるような、例えば会社の上役と部下のような改まった敬語もない。

「で、その店おいしかった。」

「ううん、混んでるだけで、ぜんぜん。」

「やっぱり雑誌の評判だけじゃだめだろう。」

「そう、そう思った。やっぱり口コミが正解ね。」

「だろう。だから僕が言ったとおり、さっさっと××に行けばよかったのに」

「そうなんだけど、ミキちゃんがどうしても、そこ行きたいって…。それに、絶対そっちのほうに行けって言ってくれなかったじゃないですか。」

「まあ、◯◯も一度行っておくのも悪くはないけどな。」

`…

カメラに入っていない隣の小野寺のほうに顔を向ける佳美の表情には屈託がない。
時々カクテルグラスを口につける。
会社で言えば、長年のチームワークで気のおけない間柄になった、物分りのよい上司の男性とやや勝気な部下の女性がプライベートな酒席で見せるような調子というところか。
あるいは恋人どうしのようになった愛人関係か。

今まで拘束され鞭打たれるときの佳美の姿しか見ていなかったので、不意を衝かれたと感じるほどに意外だった。

絵里と小野寺の間でどんな調子で会話が交されているか気になる。
画面の中の男女のような雰囲気で会話を楽しむ二人の姿を想像すると、強烈な嫉妬の気持ちが浮かんできた。

佳美が、カメラの視界の外にいる小野寺からグラスを受け取り、手なれた調子でまたウイスキーのロックを作り、渡す。

絵里も酒場で同じことをするのだろうか。
いや、行ったのはワインバーのはずだ。
いや、会社の接待で別の形態の酒場に行ったこともあるはずだ…そのとき…。

かたかたと氷がグラスに当たる音で、グラスを持つ小野寺の気配が強く意識される。

「乾いた?」

「はい。…すみません、急だったから準備不足で。」

「だから気にしなくていい。」

いきなり別の会話がはじまり、調子ががらりと緊張感の漂うものとなった。
佳美の表情も急にうって変って固い真剣なものになった。
うつむきかげんとなり、自分の目の前に視線を伏せている。

そして、そこに両手を出し全部の指を広げた。
それをじっと見つめている。
10本の指の爪は、真っ赤に塗られていた。

「そこから、はじめようか。」

「はい。」

「準備してくれるかな。」

「はい。」

佳美は画面の外の小野寺の反対側から大きめのポーチのようなものを引き寄せ、膝に載せた。
テーブルの上の、ボトルの影になって見えなかったところから、小さな瓶を二つ掴むとポーチに入れた。
形状からネイルのためのものだと分かる。

ポーチから代りに2本の赤い蝋燭を出し、テーブルの上にゆっくり立てる。
中ぶりでずん胴の円筒形の2本のそれは難なく自立している。

ポーチを脇にやり、そしていつの間に手にした、女ものの細身のエレガントなライターで、芯に火を点ける。

新しい蝋燭でやや手間取ったが、炎が安定し、作業が一段落すると、佳美はカクテルに口をつけた。

先程まで無意識にしか見ていなかったが、赤い唇に当るグラスの中の液体の赤、グラスを持つ指の爪の赤が目に鮮明に焼きついた。

グラスを置くと、佳美は、目の前の蝋燭をじっと見ている。

そして目を閉じた。

うつろなというってもいいくらいの無表情だが、ふっくらした頬がじんわりと上気し、下から赤い蝋燭の光に照らされて色どりを与えているのが、カメラ越しにも感じられる。
美しい。
近くから見たいと思った。
せめてカメラがズームアップしてくれれば…。

「前から行くかい、後ろから行くかい?」

「前からお願いします。」

画面が途切れた。