183. 饒舌

投稿者: ゆきお

3時前に絵里から「終ったが、同行した役員から精進落し的にビールでもと誘われたので、少しだけつき合って帰る」という短いメールがあった。
2時間ほどしたところで、途中の乗り換えの大きな駅から、駅ビル地下で夕食の買い物をして帰る旨のメールがまたあり、特に夕食のアイディアはなかったので、任せると返事した。
しばらくして、少しいい白ワインを冷しておいてほしいという返事があったので、適当なのを選んで冷蔵庫に入れ、仕事に戻る。
それからまたしばらくして、6時前に絵里が帰ってきた。
会葬のお礼らしい袋以外にも、食品売り場の大きな袋を持っている。
いろいろ買い込んできたらしい。

スプリングコートを脱ぐと、喪服用の黒のワンピース姿が妙になまめかしい。
着替えに行こうとするのを押し止めて、抱きよせてキスした。
絵里も応えてきた。
舌がからまりあって本格的になってきたところで、絵里が身をよじって身体を離した。

「どうしたの?急に。」

「いや喪服って、そそるね。」

「そうなの?」

「そうだよ。だからAVの未亡人もので葬儀とか法事のシチュエーションのってあるじゃない。」

「いやね。そんなこと考えてたの?いやらしい。それに未亡人なんて縁起でもない。」

そう言って自室に着替えに行った絵里の後ろ姿を見やりながら、「いやらしい」ことを実践しているのはどちらだろうと苦笑する。

絵里が着替えている間に、買ってきた食料品の袋を整理する。

生ハムにオリーブ、サーモンの燻製、鴨肉の燻製、チーズ、キッシュ、できあいの高級サラダ…今晩だけでは食べきれない量があり、保存用でないと思われるキッシュとサラダ以外をとりあえず冷蔵庫に入れて、量り売りのオリーブのパックを開け、少し容器に盛る。
私がワインの準備をしている間に、デニムのタイトスカートとサマーセーターという普段着の格好の絵里がダイニングに戻ってきた。

絵里の表情は、疲れがうかがえるが、いつになく晴れ晴れとしていた。
無理もない。
土曜出勤、しかも会社からの派遣で告別式という気を使う行事への出席だ。
そして彼女にとってゴールデンウィークの遅い始まりだ。
たが、しかしほんとうにそれだけか。

飲みながらの二人の会話は、自然の葬儀にまつわる種々の事柄を話題にしていった。
花輪でみた業界の重要人物の名前、会社を代表して行ったときの記帳のしかたをはじめ、気をつかうべき種々の儀礼、会葬御礼のハンカチの銘柄について等々…そしてそこから派生したさまざまな話題。
が、そうしたことを饒舌に語れば語るほど、小野寺という中心を避けながら周囲をぐるぐるまわっていることが、お互いにはっきりと意識されるようになってきた。

「それで、小野寺とは会ったの?」

しびれを切らした私が口火を切った。

「だから、ほかの列席の人と順番に並んで、頭を下げていっただけよ。昨日、言ったとおりのこと。」

絵里の言うことはほんとうなのだろう。
しかし、としても、その多くの列席者がいる中で、二人は、たとえ一瞬とはいえ、どんな視線を交したのだろう。
ちょぅど一週間前には二人きりで濃厚な性の行為を交わしたなかだ。
遠くから小野寺の姿を認めた絵里の心中はは、あるいは逆に、小野寺の気持ちは。
私が、感じた絵里の喪服姿からにじみ出る独特の色気を小野寺も新鮮なものとして感じとったのだろうか。
儀式の中の男の姿はまた女性から見て特別の魅力を与えるものだ。

昔の映画のシーンによくある、大勢の人いるパーティーや何かの席で離れた場所にいるヒーローとヒロインのところだけにスポットがあたり、二人の視線が会うというようなシーンを脳裏に思い出し自分でも苦笑した。

「そうなんだ…。それだけ?」

「それだけ。」

せっかく思い切って名前を持ち出したのに、あまりにきっぱり、そしてあっさりとこの件が打ち切りになって、会話の続けようがなくなった。

「それより…」

「それより?」

「私にとって、今日のハイライトは、斎藤専務と告別式のあとビールしたことよ。1時間近く。そういう人とそんなに話す機会は普通ないんだけど、なんだか専務は妙にリラックスしていろいろ話してくれた。人の死って何か人と人をパーソナルな気分で近づけるものよね。」

「へえ…。」

そして絵里は、初耳だという、小野寺の叔父のゆかりで今の仕事の話があった経緯にはじまり、会社の中での複雑な人間関係について、私が細部を理解しているかどうかにかまわず、いかにも有意義な秘密の情報を得たという口調で語っていた。

それはそうに違いない。
組織の中でいろいろな人間関係のバランスを取りながら生きている者、特に、絵里のように、女性という立場で少し頭角を現わし、そして一人歩きしはじめた人間にとって、それらの、普段は上層の知る者だけが知る情報はとても貴重なものだろう。

「結局今のプロジェクトって私が思っていたよりも、社内的には、社内的にはというか社の中の一つの派にとって…そこに私もいるんだけど…すごく重要なもので、私たち…私がそれを成功させれば、私、自分で思っていたより、その次、もっとかなり先まで行ける可能性があるということが分かったのね。で、専務は、ここだけの話だけど言いながら、そのことを言い含めるようにして、がんばってほしいと言ったの。」

そう言うと、また絵里の話は、絵里の属する派と別の派の関係がかなり複雑であり、誰それがどこからどこに寝返ったとか、真面目にやっていたのに不器用に派閥に争いに巻き込まれ冷や飯を食った等々のようなことにも及んだ。
そして、それらのエピソードやゴシップをいかにも酒の肴にするという調子で、杯を重ねながら、会話が進んでいった。

そして、杯を重ながら、絵里の買ってきた高級惣菜をまた冷蔵庫から取り出してき済し崩し的に食べていく。

しかし、会話と言っても、主に喋っているのは絵里で、私は相槌を打ったり、簡単な質問をしたり、意見を求められて一般的な感想を言ったりという訳だ。

最初は面白がって聞いていたが、饒舌な調子のやまない絵里の話にだんだんついていけなくなってきた。
ワインのアルコールが回ってきた頭に話が右から左になっていく。
そして苛立ちのほうが強くなり、酒の力も借りる形でまた思い切って言った。

「小野寺の話なんだけどさ、またで悪いけど。」

「…」

「彼はいつから東京、というか神奈川にいるの。 その叔父さんが亡くなったのって日曜日だよね。お通夜とかどうしたの。」

先ほどまで、快活と言っていい調子で仕事の話や社内ゴシップを饒舌に語っていた絵里の顔に、一瞬、かげりとこわばりが走り、身構えるような調子になった。

「…そうそう、それなんだけど…」

言葉を濁すように言う。

「水曜日に初めて連絡があったと言ったよね。」

「そうよ。」

「それまで絵里はぜんぜん知らなかったの。」

「知らなかったわ。」

「その時は小野寺は東京近辺にいたのかい?彼の行動がよく分かないな。」

「私もよく分からなかったんだけど、じゃあ私が知っていることを話すね。知りたかったら。」

「うん、知りたい。」

「それね、まず土日に向こうで何があったかから話したほうがいいと思うの。」

「…」

今度は私が身構える番だった。

プレイのことについて話し始めるのは次の週の週末、というのが一つのパターンになっていたので、ここでそれが語られるのは時間的には不思議ではないが、今までの、小野寺の叔父の告別式や絵里の会社の社内事情というところから、絵里が自分であっさり話し始めようというのが唐突で不意を衝かれた。
しかもそれが叔父の葬儀にあたっての小野寺の行動とどんな関係があるというのか。
意味も分らず心がざわついた。

そんな私の思いを知ってか知らずか、絵里は、「ちょっと冷たいもので頭をしゃきっとさせるね」と言いながら立ち上がって言った。

「この前のお土産のベリージュース、まだ残りがあるはずだけど、きみも飲む?」

「飲む。」

冷蔵庫の瓶の濃縮ジュールから手際よく作った2つのタンブラー一杯の冷たいジュースを持ってくると、絵里は私のソファーの脇に座り、テーブルの上に私の分を置き、自分が手にしたタンブラーからは三分の一ほどをごくりごくりと思い切りよく飲み干したあと、話し始めた。

「まず土曜に向こうについたときの話なんだけど…。」

そこから語られた絵里の話の内容は、私が東京で、過去3回のプレイの報告に基いて想像していたものとは、かなり変則的な、驚くべきものだった。
プレイの内容というよりもプレイの段取り、スタイルにまず驚ろかされた…。