193. 連休

投稿者: ゆきお

告別式による土曜の臨時出勤が終ると、やっと絵里にとってゴールデンウィークとなり、次週の半ばまでの休みにはいることとなった。
4月からの新らしい役職の変化にともなうストレスは、相当なものだっただろう。

そしてそのあいだに変則的に終ったプレイがあった。

ただ、よく思い返してみると、たいへんだったのは、1週間の前倒し、長時間におよぶ体力を消耗するプレイ、飛行機の乗り過しなどの重なった3回目のときであり、前回は実質的なプレイ時間も短かく、肉体的な負担は少なかったはずだ。

そうであるにもかかわらず、4回目のプレイは、そのあとの感情の起伏にも表われたような、何か深いレベルで刻印を残したのかもしれない。
その刻印は深くに潜航し、だんだんと私にはもう見えないものになっていく。
たぶんそのことが起ったのが、表面的には平穏な休日を二人で満喫したその連休中のことだったのだろうと後になって私は思うこととなった。

休日はのどかに過ぎていった。

連休といってももうこの何年かは、わざわざ世間が混んでいる時に、旅行の予定を組んだり、特別の外出の予定を入れたりはしていない。
もともと、私はいつもどおり家で仕事を、絵里も私といっしょにゆっくりと日常の生活をと決めてあった。
特別なことといえば、絵里が母親と半日二人で買い物に出かけ、実家で私も呼ばれて食事したことと、昔の同級生のところのガーデン・パーティーに行ったくらいか。

朝起きて朝食の支度をすると、絵里がいつもよりゆっくり起きてくる。
そして私が仕事している間は、家事をさっさとこなしたあと、最新のデータベースの構築法についての書籍だというのを、自分のパソコンを傍らに、熱中しながら読んでいた。
「何も休日にまで仕事だか、仕事の勉強を持ち込まなくてもいいのに」と私が言うと、「別にやれと言われてやっているわけでも、緊急の必要に迫られてやっているわけではない。自分で興味があるからやっているのであって、今みたいにまとまって時間がとれるときにこういう基礎を身につけておくと、自分がやっている仕事の全体がもっとはっきり分かるし、SEの人たちともわたりあえるので、仕事のなかで余計に振り回されなくて済むので、結局はあとあと相当に余裕ができる」のだと言う。

結局私自身が、緊急の仕事がないときは、自分の興味の赴くところの勉強に走るタイプで、絵里のそういうところも私との学生時代からの長い付き合いに影響されたものかもと思うと、苦笑しながら納得するしかなかった。

まるで二人の在宅勤務者がいて、あうんの呼吸で、リズムを調整しながら生活しているようだった。
どちらからともなく、お茶の時間になり、そしてそれぞれ今の作業の中で見つけた興味深いこと、触発されたでてきたアイディアについておしゃべりする。
私はデータベースというものについて詳しくなり、絵里は19世紀の英国の社会について詳しくなった。

昼食、夕食の仕度の主導権は絵里がほぼ握った。
「休みの日くらいちゃんと料理させて」と言って昼も夕食を作りたがったので、最初は悪いなと思いながら、誰かに料理の支度をしてもらうという心地よさに私もだんだん馴れていった。
午後、いっしょに買い物に行って絵里の提案でどんどんメニューが決まることもあれば、私が仕事をしている間に早めに一人で買い物を済ましてくることもあった。

私が仕事の続きをしている間に、家事や料理をする絵里は明るく楽しそうだった。
絵里の母はパーフェクトな主婦だというのは、彼女の家に行くたびに印象づけられることだが、
絵里も、たぶん根底においてはその家庭の文化を受け継いでいるのだろう。
もしかして絵里は主婦の仕事にも向いていて、本人もそれを望んでいるのではないかとふと思った。
それを許さない自分の職業・経済的ステータスに心の中で疚しさを覚えた。

そもそも絵里が小野寺との話に乗り出したのは、出産・産休の可能性を睨んで、その前に自分の地位を社内でゆるぎないものにしておいきたいという動機からだというのが彼女の説明だ。
絵里が家にいても二人の、いや三人の生活が成り立つようにしてしておかなければならない、いつまでも絵里の経済力に甘えてはいけない…そう思いながらも、自分の目の前の仕事を見ると、その進まなさ、お金にならなさを実感し、鬱々とした気分になった。

私のそんなジレンマをよそに、絵里は生き生きと幸せそうだった。
ゆったりとした時間の流れ、時に平凡な日常の安らぎ、そして時に知的な刺激、そして笑顔に溢れた会話。
こんなに恵まれた男はいないはずだ。

夜も充実していた。1日おきにセックスし、ゆったりと落ちついていた。
前より反応がよくなったのは確かだが、以前ときどきあった、小野寺とのプレイやセックスの痕跡のようなものは感じられなかった。
思ってみれば、前週のプレイでセックスがなかったとしたら、前倒しになったその前のプレイから6週間、小野寺との交わりはないことになる。
二人だけのゆったりとした日常のあとの夜も、私も、そして一種の共犯である絵里も、以前のように「あちら側」での話を持ち出して、興奮を高めるようなことはしなかった。

昼も夜も二人だけの時間があった。

そのはずなのだが…。
理想的な時間を共有する理想的なパートナーであるはずの絵里が、ときどき一枚被膜を隔てて向こうにいるような感じを、私はだんだんと抱いていった。
話がうまく噛み合えば噛み合うほど、セックスがうまく行けば行くほど、何かそれが演技のようなものによって成り立っているのではないかという疑念が生まれてきた。
取り越し苦労なのかもしれない。

が、そのあとに続く期間に起きた急激な変化のことを考えると、小野寺との関わりについて、その日々の間に、彼のことが絵里の中からまったく消え去っていたとは私にはどうしても思えないのである。

頻繁なメールのやりとりなり、一人の時間のときに電話のやりとりがあったのではないか、それがこの時期に始まったのではないか、その可能性について後から何度も反芻して思いを巡らせてみた。
それは完全に取り越し苦労なのもかもしれない。
こればかりはいまだに分からない永遠の謎だ。

しかしそういう接触がなかったとしても、絵里の中で何かが進行していたことは確かなのではと思うしかない。