194. 儀礼

1週間弱の、少なくとも表面においては小野寺の影を感じない二人だけの時間は、連休という閉じられた時間の枠、すなわち、絵里が会社の業務とつながっていないという条件の中で保証されたものだった。
絵里が今の業務を続ける限り、そこには必ず小野寺との関係が出てくる。
その、簡単な事実に、連休が明けるとすぐに気づかされることになる。

木曜の出勤が終り帰ってきた絵里が、夕食時に「明日、小野寺さんが来社して、そのあと接待だから、少し遅くなる」と、事務的に切り出した。
叔父の葬儀の会葬のお礼に来社し、そのあと一席設けたいと申し入れてきたという。
最近のコンプライアンス強化の関係で役員、本部長は出席できないが、むげに断ることもできず、現場のリーダーでもあり葬儀にも出席した絵里が、その部下といっしょに半分私的につきあうということになったという。

「先週も会ったばかりじゃないか…」

「会ったって言ったって、葬儀で顔を合わせただけだし。先週と今週は一つの儀礼的の中で繋りがあるもので、私が決めたものでもない。それに、私、そんなこと報告しないことだってできたのよ。仕事関係で遅くなるのは、小野寺さんが関係したものだけではないし…」

そう言われると元も子もない。
仕事の上でも絵里が小野寺に会うということを、言われれば言われたで心にさざ波が立つが、もし言わないということになれば、絵里の帰りが遅いたびに疑心暗鬼となるだけだ。
この状況はまだましなものとして受け入れるより仕方がなかった。

金曜の夜、絵里の帰りは10時過ぎで、この種の機会としては早かったといえる。
帰ってきたときの様子に特に何も変ったところはなかった。
変わったことがないことにおいてむしろいつもと変っていた。
会社の飲み会や、ちょっとした接待の機会など、ほろ酔い気分で帰ってくるとき、やや陽気に饒舌になるのが絵里の常だ。
逆に、あまり意に沿わない機会だったり、席上嫌な思いをしたことがあったときなどは、私に愚痴をこぼす。
その晩は、そういうことは一切なく、事務的な表情や口ぶりばかりが際だった。
能面のようなとまでは言わないが、まったく感情の動きを見せない表情だった。
「一枚膜を隔てて向こうにいる」という連休中の印象がいっそう強まった。

絵里が着替えくると、二人で一杯やりながら過ごす夜の残りの短い時間が持てた。
どこへ行ったかと訊くと、別に隠しだてがあるという様子もなく、和食の懐石の店に行ったと、お店の名前も出し、メニューも教えてくれ、おいしかったと言った。
私でさえ名を知っている有名どころで、接待でもなければ私たちの生活レベルでは行けそうもないところだ。
先方は小野寺と、小野寺の会社のほうで今度のプロジェクトに新しく関ることになるという女性社員一人、こちら側は絵里と、前から担当しているエンジニア一人ということだった。
高級な和食の店の個室の座敷で向いあう4人の男女の姿が頭に浮かんだ。
小野寺に同伴していた女性社員について訊くと、20代後半で現場の業務に詳しく、絵里は名前を聞いていたが、会うのは初めてだという。

「どんな感じの人? 美人?」と私が訊くと、「今風のきれいな人」とだけそっけなく答えた。
茶化すように「あれかな、その女の子も小野寺の何かなのか?」と訊くと「違うと思うけど、私が知るわけないでしょう。きみっていつからそういうことばかり気にするようになったの。」と冷くピシャリと言われた。
口調にはいらだった響きもあった。
それで、接待についての話は打ち切りとなり、二人めいめいが自分の世界 —— 私が現在翻訳中の本の関連文献、絵里がデータベースの解説書 —— にもどり、そしてどちらからともなく寝ることとなった。

私をよそに隣でさっさと眠ってしまった絵里の脇で、寝つかれないまましばらく時間を過ごしたベッドを離れ、書斎でPCに向い絵里の今日の行動について整理してみた。

Eri’s Diary に次のように記入した。

「出社いつもと変らず。退社後、小野寺による接待、出席者××、××で懐石(絵里による説明)。時間は退社後、移動時間を考えると18時半ごろ〜21時半ごろ? 帰宅10:10。着衣、グレーのスーツ(ツカートはタイト)。ブラウス紺。ランジェリー:薄クリームの揃いのブラとショーツ。肌色のパンスト。パンプス、黒」

と記した。下着まで、わざわざバスルームの脱衣籠まで行って確認して書いたのは初めてだった。以前から見かけている特別なものではないことは確認したので、特に記すべきこともないと思ったが、そのデザインや色の詳細にまで私は何か情報を得ようとしはじめていた。

前回の絵里と小野寺のプレイが5時半から8時半ごろまでに行なわれたという情報、そのプレイに関連した佳美の動画のシーンがどうしても頭の中から追い出すことができなかった。