202. 情報ゲーム2

投稿者: ゆきお

スペインバルで二人いつもより少し多めに飲んだ。絵里も解放感があったろう。
たわいもない話の続きをしそのそのまま眠りについた。

月曜に絵里が出社すれば、彼女の仕事は、小野寺の会社との、小野寺その人を中心にしたものとなる。
絵里が会社に行くということ自体が、私にとって、彼女が向こう側の世界に行くということと同じになってきた。
小野寺が絵里の世界に、私たちの世界にどんどんと入り込んで来る、新しい段階を私は予感していた。

それゆえに土日の週末は、私にとってはとても貴重なもので、それを大事にしようと思った。
絵里も、その気配が分かるようで、向こう側の世界が存在しない昔のように、二人水入らずで、よくしゃべり、よく食べ、よく飲み、そして二晩とも愛しあった。

しかし、月曜になると、向こう側の世界は、彼女の仕事だけでなく、もう一つの別の事実によって重く、私の心の上にのしかっかってきた。
たぶん絵里の上にも。
いや、もしかして、絵里は仕事のためにそれどころではなかったかもしれない。
絵里というより、私に感じられる、私と絵里との関係にというべきか。

その週の仕事が終り、土曜が来ると、絵里はまた5回目のプレイに行ってしまう…。
週そのものがそのことに向けての準備期間のような、月一回のいつもの感覚が強く戻ってきた。
今回は、小野寺となんだかんだで毎週会っての上で、彼女にとってはもうむしろそこに向かう過程も自然なことになっていのかもしれない。
あるいは心待ちにしていたかもしれない。

そう思わせる決定的な出来事が金曜にやってきた。

金曜の朝に、私が支度した朝食のテーブルに、すでに出社の支度も整った絵里が現れ、そのコーヒー・カップを持つその手元を見たときに、はっと息を呑んだ。
爪に赤のマニュキアがほどこされていた。

少しマットな感じで、口紅に合っていて、どぎつい真紅とは違っていたが、以前のペデキュアで見た赤や、佳美のビデオで見たそのネイルの色を思い出させるのに十分だった。

ずいぶん大胆なことをするものだ…。
オフィス環境でも、これまでの絵里にはなかった小さな冒険かもしれない。
そして、私に対しての挑発のようにも思えた。

心が動揺し、何を言うべきか言葉がみつからないうちに、言葉を発するタイミングを失ってしまった。
絵里にとっても一つの賭けのようなものだったかもしれない。
あるいは、絵里は私を観察していたに違いない。
そのとき、また二人の間に何か暗黙の協定が結果としてできたのかもしれない。
絵里が、自ら進んで向こう側の世界に行くことを、私の反応を探りながら私に見せることについての。

おそらく土曜日の朝に、そのネイルにしたとすれば、「支度」であることが見え見えとなるため、オフィスファッションの一貫として金曜の朝に先取りしたということなのだろう。
そしてそれに私が気づき、呑み込むことも計算の上だったのだろう。
絵里は、私がどういう反応をすることを期待していたのだろうか。
何か言えば、何と答えたのだろう。
絵里のことだから、それも計算されていただろう。
しかし、私の動揺からの沈黙のために、彼女のリアクションを知ることもできなかった。
私の沈黙、そして何かの暗黙の協約のようなものが、できることも絵里の計算のなかのオプションではあったのだろう。

考えてみれば、以前の絵里のペディキュアについて私が何も触れなかったときにすでに敷かれていた情報ゲームの延長線の上にいた。
それに私が図らずも入ったときは、絵里が知らないことを私が知っているという情報の非対称性が、私の持ち札だった。
しかし、今度は、絵里が情報を小出しにするという持ち札をいつの間に持っていた。

なぜそこへ一挙に進んだのか。
プレイがあと2回でおしまいということで、絵里も大胆になっていただろう。
そして、私のほうも、何か大胆のことも受け入れるという気分にはなっていたのかもしれない。

その赤いエナメルは、以前から絵里の部屋にあったのか。
それとも最近どこかで買ったのか。
それとも、向こうから持ってきたのか。
小野寺のプレゼントなのか。
赤いマニキュアをして行くというのは小野寺の指示を受けたものなか。
それとも絵里が進んで選択したのか。
小野寺の指示を最近受けたとしたのなら二人の日常のコミュニケーションのありかたについて胸が騷ぐ。
絵里が進んで選んだとしたのなら、それはそれでプレイへの、小野寺への絵里ののめり込みかたという点でもっと胸が騷ぐ。
どんな気持ちで絵里は今朝、確かにいつもより早起きして始めたシャワータイムのあと、自分の爪を赤く塗っていたのか。
私が朝食を隣の部屋で用意する間。
性的に興奮していたのか。
背徳心を感じていたのか。
結論の出ないそうした問いが、私をまた新たに苛んだ。
私がそうした状況に落ち込むことすらも、絵里の、あるいは小野寺の計算の中だったのか。

そして、この日の夜、絵里が帰宅してから、絵里にネールの赤い色にについて話すという選択肢は原理的にはまだ残されていたはずだったが、それをするには、私はもうこのゲームに深く入り込みすぎていた。
彼女が帰ってくるまでに、私の心はいろいろな疑いが巡ることにそのエネルギーが消耗され、思いきってそのことについて話すという決意のほうには、もう向かっていなかった。
私が決めていたのは、彼女が同じ色のペディキュアをしているかを、確認することだった。

そして、その夜、ベッドルームで、彼女がスリッパ脱いだときに、盗み見るようにその事実を確認した。