110. ホームページ制作

「小野寺の会社、立派なホームページができてたね。」

月曜の夕食のあと切り出してみた。
たぶん、絵里は小野寺から連絡を受けて知っているか、仕事上、取引先の動向として把握しているだろうと思った。

「4月1日に新年度に合わせてリニューアル公開したのよ。今のプロジェクトの売り込みで、うちの会社でその制作をサービスでつけるという話から持っていったんだけど、担当者の間でやりとりしているうちに、向こうからもいろいろ注文がついて、結局正規の仕事でお願いしたいと言われたのね。うちの担当部署からも感謝されたわ。もちろんかなり値引きはしたけど。」

知っているどころではなかった。
絵里が一枚噛んでいたのか…そんな卑俗な表現さえ頭の中に浮かんだ。

「じゃあ、それって絵里が作らせたということなの。」

「作らせたというか、うちで引き受けるというアイディアを出したのは私。向こうも業務を拡大して親組織相手だけでなくて、受注先を一般に拡大しようとしていたところで、ホームページをちゃんとしないと…という話を聞いたから、じゃあうちですぐにということに、もっていったの。」

「やり手だね絵里って。」

「それは割と普通の手。小野寺さんのとこが初めてじゃないわ。」

「内容も絵里がかかわったの?」

「まさか。ぜんぜんタッチしてない。そういうのは担当部署があって、それに制作自体下請けに出すのね。ただ、できあがる直前に連休前だったかな、担当部署からテスト版ができたっていう連絡があってざっと私も見た。営業上どんなのができてるのか知らないっていうわけにはいかないし。それにそこで不具合とかあって、逆に本プロジェクトに影響したりしたら、それこそ目もあてられないから。うちじゃないけど、同業者でそうやってサービスでつけた部分の仕事がおかしくなって、担当者の間で解決できなくなって技術力や会社の取り組み自体に疑いがかけられているのに、営業がそれ把握してなくて、大きいのがぽしゃりそうになったっていうのもあるのね…」

連休前というと、プレイに行く前には絵里は小野寺のそのプロフィールページの大元を見ていたということか…。
そんな私のこだわりにはお構いなしに、絵里にとってそれはむしろ、単なる仕事上のエピソードとして語るべきもののようで、その部分で饒舌になった。

「絵里は何かコメントしたの?」

「会社の業務紹介のところのオフィスの写真の一枚で、画面の端のほうであまりに雑然としたデスクが写ってたから、取り直すか、それができないんだったら上手にトリミングしたら?とかそういうアドヴァイスはした。オフィス環境の整備が業務内容なんだから、それはまずいよね。結局トリミングしたのが今載ってるけど。」

「小野寺は、絵里がチェックしてコメントしたのを知ってるの?」

「分からないけど、たぶん。直接小野寺さんとその話はしてないけど、向こうの担当者は、写真に私のチェックが入って直しになったというのは知ってた。こちらの業務のやりとりの中で、写真の件でもお世話になりましたって、担当者がメールで言っていたから。そして、彼女から小野寺さんにも情報が伝わっている可能性は大。」

そこまで関りながらホームページの開設について、なぜ教えてくれなかった?という思いは一瞬心をよぎった。
しかし絵里のほうから進んで私に報告して二人の話題にする筋合いのものでもないのは確かだ。

「小野寺って、アメリカ行ってたんだね。 」

「そう。私もそのプロフィールで知った。」

「MBA結局とらなかったみたいだけど。」

「その辺りのことはよく分からないけど、なんだか家庭の事情があったみたい。」

ここで、小野寺の英語力について触れなかったところには、やはり私の意地のようなものがあった。

「家庭っていえば、家族のことって何も書いてないね。」

「お母さんは亡くなっていて、。お父さんは法人のほうの会長だけど、それにはあえて触れないほうがいいということみたい。」

私の質問の意味を知っていて、はぐらかそうとしているのだろうか。
「いやほら、家庭っていうと、妻と一男一女とか書くじゃない、ああいうプロフィールのとこは。」

「独り身っていう話。子供もいないみいたい。私にもバツイチということくらいしか分からない。」

勝手に妻帯者だとばかり思っていたので、独り身という情報は意外でもあり、漠然とした不安の材料にもなるものであった。
絵里はそのことをいつ知ったのだろうか、それについて質問するのは今は避けた。
絵里のほうでも、それよりつっこんだ話を知っているということは、「その日のこと」についての話が進む中で後になってから語られることになる。
家庭や女性関係について小野寺にある程度問い質したということについて、やはり絵里もその時の食後の会話では中々言いづらかったのだろう。

小野寺の個人的な経歴や生活環境について、3回めのプレーの機会に、二人の間ではじめての多くのことが語られたことが、絵里の後の語りから明らかになっていく。
ホームページのテスト版がその直前に完成し、絵里が目を通したというのは偶然のタイミングにしても、それがそうした話題への触媒として作用したのは確かだろう。

「趣味にダイビングと美術観賞ってあったけど…」

「ダイビングの話はしたことないけど、美術のほうは、結構…、というか、私たちよりずっと詳しそう。」

「え?」

「それに自分で描くの、小野寺さん。」

「自分で?」

私の作った小野寺像は、ますます違うもので置き換えられざるを得なくなってきた。
そして、絵里の知っていることと、私の思い描いていることのギャップの大きさが痛切に感じられた。

小野寺の実像について情報を得るたびに私の心にはさざ波がたった。
しかし絵里と情報を共有し、そのギャップを埋める以外にはとるべき方法はない、と私は思った。